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2008年12月 7日 (日)

続々・首相辞任(昭和十九年七月十八日)

 

 首相の辞任が新聞に掲載されたのは、3日後、ということになる。

 東條内閣総辞職の日付は、昭和19年7月18日。7月21日の紙面で始めて、新聞の記事となった。

 私的に辞意を漏らした、という話ではない。参内し、天皇に拝謁した上での内閣総辞職である。ニュースバリューは大きい、はずだが、新聞紙面を飾るのは3日後、なのである。

 戦時下の新聞、情報統制下の新聞とはそのようなものであった。そこでは、新聞報道に、新しいことが求められるわけではない。あるいは3日前の話も「新しいこと」なのである。

 もっとも、ラジオを通じて、東條内閣総辞職は、7月20日に発表されていた。

 まぁ、2日後になっての発表、ということではあるが。

 

 七月二十日 (水) (十八日午前十一時半に辞表捧呈、本朝発表)

 東条内閣総辞職す。この日本を不幸に陥らせた責任内閣は、かくて内輪割れの結果崩壊す。笠原清明の話しでは、投書なども沢山あり、刑事すらも、腹でも切れば許されるだろうが、オメオメ生きていれば殺されるかも知れないといったと。

 サイパン――東条内閣崩壊――当局者に対する反感――一緒に騒いで置きながら、、戦争が不利となれば国民は必ず不平をいおう。ここに大東亜戦争は一転機を画す。七月二十日は記憶されるべき日になろう。

 さるにても、これくらい乱暴、無知をしつくした内閣は日本にはなかった。結局は、彼を引き廻した勢力の責任だけども、その勢力の上に乗って戦争をしていた間は、どんな無理でも通った。然るに参謀総長をかねて、掣肘をこの勢力の上に加えるに至って、一たまりもなく振り落とされたのである。

 かつて参謀総長兼任をもって、政戦一致といって太鼓を叩いた新聞は、また「絶対信頼の梅津大将」とか「ひたすら作戦一途征戦完遂」などと、お世辞をいっている。

 昨日も、今日の新聞も悲憤慷慨の文字で全面を盛っている。もっとも現在は一週間の内三日は、ただの二頁であるが、その二頁が、「一億試練の時」「南溟の仇を報ぜん」「急げ輸送隘路の打開」「怒りの汗に滲み職場離れぬ学徒」「津々浦々に滅敵の誓」(以上『朝日』)といた記事で、他には何もない。『朝日』がそうだから、他の新聞は想像しうべし。

 負けたのは「兵器不足に起因」(『東京新聞』七月二十日)といった論調が、軍部の態度を示す。

          清沢洌 『暗黒日記 2』 (ちくま学芸文庫)

 

 清沢のこの日の日記は、まだ続く。

 ここでは、

 刑事すらも、腹でも切れば許されるだろうが、オメオメ生きていれば殺されるかも知れないといったと。

という記述に注目しておきたい。

 昨日紹介した、山田風太郎の周囲の「街の声」とはニュアンスの異なる感情である。

 川島高峰『流言・投書の太平洋戦争』(講談社学術文庫2004)には、

 

 内閣総辞職とは何たる無責任ぞや。何たる弱腰であろう。戦局が不利なるが故に辞めたとあっては一億の風上にも置けぬ奴等だ。信頼出来ぬ指導者である。

 出来なければ辞表一本出せば責任は逃れる。こんなぐうたらな指導者だから戦局は益々不利だ。第一祖国永遠の栄を祈り確信して散って行った勇士達に何と言い訳が立つであろう。 (七月二十日)

 

という小長谷三郎の日記の紹介がある一方で、

 

 こら英機の馬鹿野郎五十万の兵隊さんを殺しておきながら其の結末をつけずに大臣をやめておめおめ生きているのか、何故軍人らしく腹を切らぬか中野正剛氏を切腹しせしめやがっておのれ生きる法があるか 馬鹿野郎死ね。 (『特高月報』昭和十九年八月分)

 

という、「米喰糞太郎」を名乗る人物の「反戦不穏投書」が紹介されている。

 山田風太郎の拾った「街の声」、清沢洌の聞いた噂。

 それぞれに、国民の感情が反映されたものと考えるべきだろう。

 「戦局不利なる」時点で辞めることが、「責任逃れ」と捉えられているという点では、どちらも共通していると言うことも出来そうだ。

 「戦局不利なる」現状を、自分の責任であると考えているようには見えないところが問題なのかも知れない。

 東條英機にとっては、サイパンの玉砕も「他人事(ひとごと)」であるようにしか見えないのである。

 東條英機が、其の自己評価において、「自分を客観的に見ることが出来る」と考えていたかどうかまではわからないが…

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/09/04 21:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/77831/user_id/316274

 

 

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