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2008年12月 7日 (日)

カラシニコフ!

 

 暑い日が続く。

 夏は苦手の季節だ。

 つまり暑さに弱い。

 コンピュータ・システムのような人間だ。

 精密なモノは、乱暴な取り扱いや、温度の急激な変化はもちろんのこと、高温も低温も苦手、高湿度にも極めて弱いという性質を持つ。

 そのような意味で、私もまた「精密なモノ」であるに違いない。

AK-47 II型

 カラシニコフは、そのような意味で、対極的な存在だろう。

 設計がいい加減なわけではない。

 部品の組み合わせの精度を高くすることが、乱暴な取り扱いや、温度の急激な変化等の、実際の戦場での使用条件ではむしろ逆効果となることに、設計段階で配慮しているのだ。

 カラシニコフは、部品同士の組み合わせの精度を低めることにより、故障の発生を抑えることに成功した。

 また、部品数を少なくし、部品のサイズを一定の大きさ以上にすることにより、部品の紛失による使用不能状態に直面する可能性を低減させることも出来ている。

 結果として、社会主義プロダクトとしては、異例の大成功を収めた存在となることが出来た。

 トラバントとは大違いなのである。

 しかし、まぁ、殺傷のための武器である。

 信頼度の高い、殺傷のための武器なのである。

 戦場において信頼度が高いということは、対峙する「敵」への殺傷能力への信頼であると同時に、対峙する「敵」に対する自己防衛能力への信頼を意味するのだという点には、留意されるべきだろう。

 そのような意味で、カラシニコフへの信頼性は高く、社会主義プロダクトとしての異例の成功ぶりをを、いまだに立証し続けているのだ。

 もちろん、それは、人間同士の組織的な殺戮が、この地球上では絶えることがなかったことを意味する。

 特にカラシニコフの普及の背後にあるのは、人間同士の組織的な殺戮としての戦争のあり方の変化でもある。

 正規軍同士の戦闘として現実化する、国家間の戦争の主力は空軍力であり、陸上兵器の主力は戦車であろう。

 しかし、歴史的に、国家間の戦争は過去のものとなってしまった観がある。

 内戦という形態が、現代における戦争形態の基本であり、陸上での戦闘の主力は、そこでは戦車ではなくカラシニコフを手にした戦闘員なのである。

 戦車は高価な兵器であり、カラシニコフは安価な武器だ。

 国家の正規軍ではない、資金力の低い武装集団にも調達可能な武器なのである。

 アフガニスタンやイラクでの米軍のハイテク兵器使用による局地的な大量殺戮の一方で、カラシニコフによる殺し合いが地球上を覆っているのだ。

 社会主義プロダクトとしてのカラシニコフの成功を支えているのは、地上からなくならぬ戦争状態であり、戦争状態をなくすことの出来ぬ人間である。

 戦争状態をなくすことに成功しない限り、カラシニコフの信頼感は、戦場で闘わざるを得ない兵士達の支持を受け続けることになるだろう。

…と、思わぬ方向へと話は進んでしまった。

 暑さのせいで、我がノーミソ・システムも暴走気味のようだ。

 コンピュータ・システムに代表される、精密なモノの暴走もまた、歓迎されざる事態を引き起こす可能性を秘めている。

 いずれにしても、人間の設計したシステム上の出来事である。

と言いつつも、我がノーミソ・システムの設計者は誰なんだ?と呟きながら、本日の日記は閉じられる。

     カラシニコフ → (http://ja.wikipedia.org/wiki/AK-47)参照

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/07/20 22:42 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/73434/user_id/316274

 

 

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