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2008年12月 3日 (水)

戦争を語り継ぐ、ということへの入り口

 

 本日は、参加しているMLコミュニティ「戦争を語り継ごうML」のオフ会に行って来た。

 家族全員で、出かける。娘も一緒。最年少参加者となった。

 私も含めての戦後生まれから、疎開体験世代、東京大空襲体験者、ビルマ戦線従軍体験者、戦闘機隼パイロット等々の、戦争との関係の仕方も参加者それぞれという集まり。最高齢者が確か86歳、ということはウチの娘とはなんと72歳の開きがあることになる。

 話の内容は様々だったので、今日の日記でレポートするには、無理がある。

 しかし、当事者の話を直接伺うことの意味の大きさは、よぉく理解出来た。

 書かれ残された記録をきちんと読むことは大切なことだ。しかし、記録として書かれず、たとえ書かれても残っていないということは、ある出来事が歴史的に存在しないということではない。

 生きた当事者が目の前にいるということの大きさは、対話が可能であるという点に尽きるだろう。記録に書かれていないことを記録に対して問うことは出来ない。しかし、目の前の当事者・体験者には、問うということが出来るのである。

 当人にとって当たり前のことは、わざわざ話さないことがあるものだ。しかし、相手にとっては新鮮な話題であり、問うことが始まり、記録上は存在しないことも新たな語りの対象となりうるのである。

 読書の大事さ、資料の読み込みの重要さと同時に、対話を通して、まだまだ隠れたままになっている出来事の多くを、歴史のフィールドに引き出す作業を続けることの価値を、あらためて実感させられた一日となった。

 とにかく、世代間の差の大きさを考えると、先行する世代にとって当たり前過ぎて問題とならないようなことでも、後続世代は何も知らないというようなことが現実なのだということを、互いに自覚しておかなくてはならない。

 人間自体は決して賢くなどならない(生物としてのヒトとしての変化など無いと考えなければならない)のだから、少なくとも、この数十年の日本人の経験くらいは、自覚的に、自らの視野に取り込んでおくための努力はしておきたいものだと思う。愚かさにおいてはそう変化は無いかも知れないが、それでも、愚かさゆえの過ちが少しだけは減少する可能性が生まれる。

 そういえば、本日の会場は本郷の東大赤門近くの「わだつみのこえ記念館」だった。今回は展示をじっくり見るゆとりがなかったので、また、あらためて、ゆっくりと再訪したいと思っている。

 しかし、昨日は駒場、今日は本郷と、なぜか東大に縁のある休日だったなぁ、と最後に私的な感想を付け加えておくことにしよう。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/12/02 22:59 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/50144/user_id/316274

 

 

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