« 不都合な戦争の都合という問題 4 | トップページ | 首相辞任(昭和十九年七月十八日) »

2008年12月 7日 (日)

不都合な戦争の都合という問題 5

 

 「負けた戦争」は、何をもたらすものだろうか?

 この問いもまた、何が問われているのかが曖昧である。

 誰に対して、という視点が曖昧なのである。

 「負けた戦争を始めた責任」という問題の立て方があるだろう。

 この場合も、誰に対しての責任なのかで、答え方も異なったものとなる。

 あの戦争について考えてみよう。

 大東亜戦争開戦時の、大日本帝國の最高責任者は誰であろうか?

 天皇であろうか、それとも内閣総理大臣であろうか?

…と、問いを立ててみると、天皇は確かに大日本帝國における最高の地位に就いていたにしても、何かの責任を負うべき立場にいたのだろうか、という問題の存在が見えて来る。

 ここでも、天皇が誰に対して責任を負うべきなのか、それが問題となるだろう。

 皇祖皇宗、天皇家の祖先神に対しての責任、という答え方は「あり」かも知れない。

 しかし、少なくとも大日本帝國憲法上は、天皇は、「臣民」としての国民に対し責任を負うべき存在ではなかった、はずだ。

 天皇の、大日本帝國における地位の基礎は、大日本帝國憲法にあるわけだから、天皇自身が責任を負うべき誰かは存在しない、ということになる。

 だとすれば、大日本帝國の最高責任者は、内閣総理大臣ということになるだろう。

 開戦当時の内閣総理大臣は、言うまでもなく、東條英機である。

 総力戦としての近代戦争という認識が、開戦決定の前提としてなければならない。

 もちろん、東條英機にその認識がなかったわけではない。

 しかし、リアルさが欠けていた、と言うことは出来るだろう。

 当時の大日本帝國が、総力戦としての近代戦争に耐えうる国家であったかと言えば、否定せざるを得ない。少なくとも、アメリカ合衆国を相手としての「総力戦」に耐えうるだけの国力は存在していなかった。

 そもそも戦争の目標自体が曖昧だった、とも言えるだろう。つまり、当初の目標が達成された時点で、戦争終結への努力が開始されなければならない。

 当初の戦闘における勝利に幻惑され、ただただ戦域の拡大が続けられた。結果として、大日本帝國が動員しうる軍事力で維持可能なラインを越えて戦線は拡大してしまう。

 開戦当初の戦略構想の曖昧さと、開戦後の作戦指導における長期戦略の欠如の相互作用により、当初の戦果の維持は不可能となり、「負けた戦争」としての終結に至ることとなる。

 その間、内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長の任にあった者として、東條英機には、開戦の責任と共に、その後の戦争指導の責任も問わなければならないのである。

 ここで、東條英機の責任が誰に対してのものであるのかが問われることになる。

 交戦国に対しての責任、それが裁かれたのが「東京裁判」であった。

 戦勝国によって行われた、事後法による裁判の適切性には、問われるべき余地はあるだろう。ここでの問題は、そこで何が裁かれたかである。

 東條英機が「戦争犯罪人」であるのは、交戦国に対して、連合国に対してである。裁かれたのは、そのような責任のあり方であった。

 大日本帝國に対する責任(大東亜戦争における敗北を招いた)。

 大日本帝國の天皇に対する責任(輔弼の責を全うし得なかった)。

 大日本帝國の国民に対する責任(徴兵・動員の負担に対し無補償)。

 軍事的最高指導者としての軍事指導上の責任(靖国の英霊への責任)。

…は、いまだ、公的には問われてはいない。

 日本の戦後は、東條英機の責任追及をパスした上に成り立っていたのである。

 東條英機の責任の放置、いわば東條英機の無責任の上に、戦後日本は築かれたようなものだ。

 「負けた戦争」がもたらしたもの。

 「無責任な責任者」という人間存在のあり方。

 いや、「負けた戦争」を用意したのも、「無責任な責任者」という人間存在のあり方であった、わけだ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/08/28 21:50 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/77183/user_id/316274

 

 

|

« 不都合な戦争の都合という問題 4 | トップページ | 首相辞任(昭和十九年七月十八日) »

ウヨク、サヨク、そしてリベラル」カテゴリの記事

戦争と責任」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25984311

この記事へのトラックバック一覧です: 不都合な戦争の都合という問題 5:

« 不都合な戦争の都合という問題 4 | トップページ | 首相辞任(昭和十九年七月十八日) »