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2008年11月26日 (水)

発掘された1993年の大量虐殺……?

 

 4月1日に、客が来る。とりあえず20人くらいは入れるスペースだけは確保しておかなければならない。
 で、数日前から、部屋の片付けが課題となっている。

 その過程で、発掘された写真をフォト欄にアップしてみた。家族全員、今では別人だ。

 数々の発掘品の中に、1993年の年賀状があった。
 細かい字で、文章がぎっしり詰め込まれている。
 ワープロで打ったものを縮小コピーし、画面上のバランスを考えながら(以前にはモノクロ写真を使用していたスペースに置き換える感じで)デザインしたものだ。
 当時は版下を自分で作り、印刷屋へ頼んでいた。その後は家庭用コピー機の導入、そして今やパソコン時代で、デザインから印刷まで自分の手で済ませられるようになってしまった。
 1993年には、夢物語だったのが今や現実である。

 さて、その1993年の賀状の文面である、本日の話題は。

 この15年ほど(賀状の文章を書いていたのは1992年のことだ)の世界と私、何か進歩と呼べるものはあったのだろうか、そんなことを考えさせられたのである。


            謹賀新年

今、我々はどのような時代を生きているのだろうか?  この「問い」は格調高く、鋭く、カッコ良く、年頭にはふさわしい。が、実は何とも漠然、曖昧模糊とした「問い」でもある。何とでも答えようがあるではないか(だからますます年頭にふさわしい?)。 どういう「今」が問題なのか(この瞬間?今日?今年?戦後?20世紀?…)、あるいは「我々」とは誰のことなのか(そもそも誰が誰に向かって問いを発しているのか?誰に誰に向かって答えよというのか)と、言ってしまうことも出来る。 が、それは、「問い」を他人事としているかぎり、答えるのも他人事でしかありえないということでしかない。ここで、今、私はどのような時代を生きていると考えることが出来るのか、と自らに問うてみる以外にない。  実は、このところ、切実に感じている「時代」がある。「アウシュビッツの、そしてポル・ポトの時代」というのがそれだ(今さら、と言われようと)。あれほど大量の殺人が日常の風景(戦場の出来事としてではなく)としてあったということ。殺人が国家の基本政策の一部として立案決定され、行政の行為として組織的に能率良く実行されてしまったということ。もちろん、大量殺人の存在はこの時代のみの話題ではない。むしろ、アウシュビッツがアーリア人のユートピアをドイツ国民に提示したナチズムの成果であり、カンボジアの白骨の山はクメール・ルージュのマオイズム的ユートピアの実現の過程に築かれたのだという事実(そこには「悲劇」など存在せず、彼らの美しき理想の実現の過程があるだけなのだ ― 彼らにとっては、だが)。ペルーのグスマン氏にとり、重要なのは美しきマオイズム・ユートピアの思想であって、その前に築かれた死体の山の高さなど問題にならない(彼が何を惜しむかといえば没収された毛沢東バッジだ)。大セルビア主義のユートピアの実現の過程に半世紀前のヒトラー氏の民族浄化技法が復活する。  「歴史は繰り返す」と言っているのではない。あくまでも、それぞれ固有の、別の出来事である。別の人間の手が別の人間を死体にしているのである。「歴史」を問題にするならこれらの出来事の背後にある「近代」という「時代」を見るべきであろう。「国民国家」の時代だ。国民(吉田兼好の時代には存在せず、吉田松陰において構想され、吉田茂が相手にしたところの近代の産物としての「国民」)が主人公である国家、その内部のユートピア。そこでこそ、国民による非国民の抹消という事態が成立する(第三帝国では「民族」が国民の要件であり、「階級」が毛沢東主義国家の国民を規定した、ということ)。  あらためて現在を問題にするならば、欧州統合は「国民国家」という自らの近代史の形そのものの克服抜きにはありえないが、その課題の大きさには目がくらむ。また、たとえポル・ポト氏のユートピアからのカンボジアの解放が実現したとしても、そこに待ち受けているのはムキダシの資本主義の過酷なユートピア、これが我々の生きている「今」である。  →ヨノナカヲウシトヤサシトオモエドモトビタチカネツトリニシアラネバ  ←ニワトリだって二足歩行してますけどね(少しは慰めになるだろうか)。

            1/1/1993


 こんな文章だ。宛名面の下には、「新年明けましておめでとうございます 今年もどうかよろしくお願い申し上げます」の挨拶の下に、始祖鳥の図版と、「今は哺乳類と鳥類の時代、でもある」という言葉が添えられていた(酉年の賀状である)。


 世界は少しはマシなものになったのだろうか。

 文章には全く進歩がないな。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/03/24 21:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/26133/user_id/316274

 

 

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