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2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月十日の御前会議と蚊遣線香

 

 本日は、8月9日夜の情景から始める。午後10時頃のことだ。

 
 中野駅より朝日新聞特輯号を手にしたる者一々車中に配付して歩く。ソ連対日宣戦布告と大活字にて見出し、モロトフ外相の宣言も掲載しあり。車中乗客一同皆黙してこれを読む。余は事実を已に知る故に、これを前の乗客に渡し読ましむ。一同の表情を注意するに、皆何ら変ることなく、声を発せず唯黙々として紙面に見入るのみ。軍人あり、若者あり、勤務者あり、この現象を如何に解するか、皆呆然として腰を抜かしたるか、或は来るべきことが遂に来たとの諦めか、或は戦争は軍人や何かがやっているので全く無関心なのか判断つかざる状態なり。一人位立ち上がって激励の辞位述べる者あるかと思いたるも、それも聞かず、情けなき次第なり。全く国民は無関心とでもいうべきか。

     大木操 『大木日記』

 
 大木操は、衆議院書記官長。
 山田風太郎は、「こう書いた彼は、しかし自分が立ち上がって激励するわけでもなかった」とコメントしている。
 8月9日の夜の通勤電車、中央線の車中の話である。


 その時間、8月9日の第二回閣議(18時半~22時)が、結論を見出せずに休憩に入る。
 そして、22時50分からその日の第二回最高戦争指導会議が、日付を越えて、8月10日午前2時半まで開催されるのである。いわゆる御前会議である。

 

 天皇陛下は、椅子におかけになったまま少し体を前にお乗り出しになって、まず、「それならばわたしが意見をいおう」とおおせられた。極度の緊張の一瞬である。静かといって、これ以上の静かさはありえない。陛下は、つぎに、「わたしの意見は、先ほどから外務大臣の申しているところに同意である」とおおせられた。私はその瞬間、ひれ伏した。胸がつまって、涙がほとばしりでて机の上の書類に雨のあとのようににじんだ。部屋の中の空気はなんとなく動揺した。なんぴとも声を出す者はない。みなすすり泣いているのであった。私は、陛下のお言葉が、それで終りならば、総理に合図して、会議を次の段階に運ばねばならないと考えたので、涙のうちに陛下を拝すると、天皇陛下はじっとななめ上の方をお見つめになっておられ、白い手袋をおはめになったお手の親指で眼鏡の裏をおぬぐいになっておられる。私は、陛下はお涙で眼鏡が曇るのだなと思うと、さらに一しお涙がでたが、陛下はついに、お手をもって、両方の頬をおぬぐいあそばされた。そして、低い押しつぶしたようなお声で、「念のために理由を申しておく」とおおせられた。

     迫水久常 『機関銃下の首相官邸』


 そこで総理は甚だ恐懼に堪へぬが御聖断を仰ぎ度い事を申し上げた。陛下は静かに発言せられて、外務大臣の意見に賛成である、何となれば従来軍の言へる所は屡々事実に反するものあり、従て必勝の算ありと云ふも信じ難し、現に九十九里浜等の設備も未だ完成せず、仍て難きを忍びて三国共同宣言の条件を容れ、国体の安全を図る必要ありとの趣旨の御沙汰を拝した。三時から閣議が開催せられ、全員挙げて原案に賛成決定した。

     東郷茂徳 『時代の一面』

 

 
 八月十日金曜日二夜。晴。午前六時十五分警戒警報、七時空襲警報。今日も艦上機の攻撃なり。昨日よりは東京に近く千葉方面に来ている様であった。B29も一つ二つ来ていたが、その内九時半頃になると今度はB29百機計りの編隊がやって来て東京の東北方を攻撃した。爆弾の音が盛んに聞こえた。赤羽駅の付近の線路をも狙った様である。十時五十分空襲警報解除、十一時十五分警戒警報解除。更に午前十一時五十分警戒警報にてB29一機の侵入を報ず。午過十二時十五分頃解除。又午後一時十五分警戒警報、今度は艦上機なり。二時四十分解除。午後遅く出社す。途中神田駅にて降りて昨日家内が蚊遣線香を買った古本屋へ行き二十把買った、三十二銭也。古日は今日も来ておらず、間もなく帰る。四谷駅の階段にて家へ野菜や鮒などを持ってきてくれる古日に会う。古日と四谷駅を出かけた時警戒警報の警笛が鳴っていた。午後五時四十分なり。六時十分解除になったがその直前東北の空に爆弾の落下音が聞こえた。その時のラヂオも一部に投弾したと報じた。古日はおなかの工合が悪いと云うのに色色の物を持って来てくれた。今夕も行水を遣う。今日は簡単にすます。

     内田百閒 『東京焼盡』

 
 東京への空襲は続いている。

 9日の日記に、

 古日の机の上に先日中村に頼んでおいた渦巻きの蚊遣線香一函あり。中村の使が届けてくれた由なり。一函五袋十本には三本足りないけれど昔の菊牡丹印の上等品なり。大いに難有い。平安をもたらす魔法の函を持って帰るような気がする。

という記述がある。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/10 23:03 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37795/user_id/316274

 

 

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