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2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月八日の長野と東京

 

八日(水) 晴
 ○烈日。休みにて午前中図書室目録を作る仕事を続ける。
 ○広島空襲に関する大本営発表。
 来襲せる敵は少数機とあり。百機五百機数千機来襲するも、その発表は各地方軍管区に委せて黙せし大本営が、今次少数機の攻撃を愕然として報ぜしは、敵が新型爆弾を使用せしによる。
「相当の損害あり」といい「威力侮るべからざるものあり」とも伝う。嘗てなき表現なり。いかなるものなりや。

     山田風太郎 『戦中派不戦日記』

 
 在学していた東京医科大は、長野の飯田に疎開していた。のどかな一日だったのだろうか。
 広島の「新型爆弾」被害状況は、まだ伝わらない。

 

 
 八月八日水曜日三十夜。立秋。月夜を数えて三十夜と云う可きか否か解らないが今までの例に従い仮にそうしておくけれど、月齢は零と云う事になっている様である。

 午後三時四十五分警戒警報。同五十五分空襲警報。こんな時間の空襲は初めてではないかと思う。西北の空に爆弾投下の音が続け様に聞こえた。五時十五分空襲警報解除、五時二十五分警戒警報解除となる。田無荻窪の方面の工場地帯の攻撃なりし由にて荻窪の中島飛行機製作所の唐助を案じたり。夕家内湯を沸かしバロン松木の盥を借りて行水を遣わしてくれた。五月二十五日の空襲の晩は家の風呂がたっていて家内は這入ったのだが自分は這入らなかった。それより何日か前に這入ってから以来凡そ二月半の垢を溜めていたわけである。冬と違い特にこの何日か暑くなってからは気持ちが悪くて弱っていた。胸や背に汗が出ても拭く事が出来ない。拭けば大変な垢がよれて方図がつかなくなるのが解っているからその儘そっとして置く。飯田橋駅近くの銭湯まで出かけるのは億劫である。きたない身体をシャツやずぼん下にそっと包んで我慢していた。取っておきの昔の花王石鹸ありて少ない盥の湯でも大体八十日近い間の垢は落ちた様である。夜十一時十五分警戒警報、二目標が侵入したと云った。十一時五十五分解除。

     内田百閒 『東京焼盡』

 
 この日、百閒は、5月25日の空襲で家を焼かれて以来、初めて風呂(といっても行水だが)に「這入った」。
 焼け出され、一升ビンを抱えて都内を歩き回って以来の三ケ月目にしての「風呂」である。
 広島の原爆の記述はまだない。

 

 
八月八日
 今君と二人きりになったとき、
「新聞読んだ?」
 と聞いてみたら、読んだというので、広島の爆弾のことが出ていたかと聞くと、
「出ていた――」
「変な爆弾だったらしいが」
「うん、新型爆弾だと書いてある」
「原子爆弾らしいのだが、そんなこと書いてなかった?」
「ない。――ごくアッサリした記事だった」
「そうかね。原子爆弾らしいんだがね。――で、もし原子爆弾だったとしたら、もう戦争は終結だがね」
 田村町へ歩きながらの会話だ。あたりに人はいないが、私は声を低くしていた。
 ――関薬局は相変わらず押すな押すなの盛況だ。街の様子、人の様子は、いつもと少しも変わってない。恐ろしい原子爆弾が東京の私たちの頭上にもいつ炸裂するかわからないというのに、――それは杞憂というようなものではなく、現実に日本の土地で示されたことなのだが、人々は、のんびりした、ぼんやりした顔をしている。これはどういうことか。

     高見順 『敗戦日記』

 
この記述の後に、「新兵器に防策なき例なし」という見出しの「東京新聞」の記事が紹介されているので、そこから抜粋する。

 
 由来新兵器には対策なきのためしがないのであり、徒らなる焦燥感にかられることなく、文句なし全力をあげて戦争一本に突進すべきの臍の緒をしむべきである、さらにこの種謀略宣伝に対しては巷間デマの一切に耳をかさざることが何より肝要である、もし少しでもこの種デマに迷はされるならばデマはデマを生み、空しく己れをさへ破滅し終わるべきを知るべきである、これは誇大宣伝開始に備ふる吾等の覚悟でなければならぬ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/08 23:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37690/user_id/316274

 

 

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