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2008年11月26日 (水)

文部科学大臣の知性という問題 (現代史のトラウマ 26)

 

 文部科学大臣が知的人物であるべきかどうか、どのように考えるべきなのであろうか。
 現文部科学大臣の発言を聞いた時、その知性を疑わざるを得なかった私の抱いた疑問である。

 問題の発言は次の通り。

 
伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で「教育再生の現状と展望」と題して講演し、「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言した。また、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」などとも述べた。
伊吹文科相は、人権を「侵すべかざる大切なもの」としたうえで、バターに例えて発言。「権利と自由だけを振り回している社会はいずれだめになる。これが今回の教育基本法改正の一番のポイント」と持論を展開した。
「同質な国」発言の前段では、イラクを例に出し、日本を「宗教的に極めて自由かっ達な国民が作っている」と述べた。
       (中略) 
伊吹文科相は講演でさらに、全国の高校で発覚した履修漏れについて「受験に有利なことだけ教えたっていうのは未履修問題。教育の世界における村上ファンドやライブドアみたいなもの」とも発言した。
                (2月26日 毎日新聞)
 
 
 文部科学大臣、世界史や日本史のお勉強が足りなすぎるのではないか、「未履修」でもあるまいに、そう思わざるを得ない。

 人権というのは歴史的に形成された概念である。
 国家における支配者と被支配者の関係が根底にある。
 そこには、被支配者が支配者への服従をのみ求められる状態から脱し、やがて主権者である国民として、自らが自らの国家の主人としての地位を獲得するに至る歴史があることを忘れてはならない。

 国家が、支配―被支配(命令と服従)の装置である状態の中で、「人権」は、被支配階層が支配階層に対し自らの存在を対置し、国の主権者の位置を獲得する上でのキーワードであった。
 かつては、服従=義務であった。それに対し「人権」を掲げ、自らの権利を主張し戦うことによって、やっと獲得されたものが、国家の主権者としての地位なのである。
 権利は主張されて当たり前の概念なのである。主張のないところに権利は存在しない、それが歴史的教訓なのだ。

 国民主権の国家においては、実は義務もそのような様相を帯びてくる。納税し兵役に就くこと。これは主権者であるからこそ主張出来ることでもあるのだ。
 江戸時代を考えればよい。年貢は税とは異なる。税とは国家および国民の利益向上のために支払われるもの(結局は自らに還るもの)であって、お上の生活を支える年貢ではないのである。主権者であるからこそ、自らが国の主人であるからこそ、武器を手にするのも当然のことなのである。農工商にとって兵役は義務でさえなかったのであることは、文部科学大臣もご存知のことと思うのだが。
 つまり、ここでは義務と権利は相反する概念ではない。しかし、それは、あくまでも主権者としての国民という条件があってのことなのである。
 国民主権が実現されている状態とは、人権の保障が実現されている状態に他ならない。

 人権あっての義務、権利あっての義務なのである。間違えられては困るのだ。

 「権利と自由だけを振り回している社会はいずれだめになる」ことは確かであろう。
 しかし、「権利と自由」の主張の由来、世界史的背景に対する顧慮すら出来ない人物の発言としては問題なのである。

 それが「今回の教育基本法改正の一番のポイント」であっては困るのだ。

 自立した個人の育成こそが、権利と義務の相補性の認識につながるはずだ。
 今回の教育基本法改正で失われた一番のポイントがそこにある。

                                 (続く)

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/02/28 14:38 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/23588/user_id/316274

 

 

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