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2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月九日

 

 広島の原子爆弾、ロシヤの参戦など、不気味な空気がのしかかってきた。
 原子爆弾以来、相模湾に一機偵察に来ても、誰もが死の恐怖にふるえた。私は、まさか、この辺りに原子爆弾がおちるとは思わなかったけれど、西久保さんの奥さんは
「もうじき、村中のもん、みんな一ぺんに死ぬんだとよ。」
 と、六月に生まれた百合ちゃんを抱きながら仰っしゃった。
「ああ、何時かは、みんな死ぬのですわ。」
 と、私は小さい声で言った。

     太田静子 『斜陽日記』

 

 

 電話の音に目を覚まして、受話器をとると、同盟通信社の長谷川外信部長が、サンフランシスコ放送によると、どうやらソ連が日本に対して宣戦を布告したらしいという。私はほんとうに驚き、何度も「ほんとか、ほんとか」とたしかめた。立っている大地が崩れるような気がした。長谷川君は、少し待ってくれ、詳しくは間もなく電話するからという。私は全身の血が逆流するような憤怒を覚えた。

     迫水久常 『機関銃下の首相官邸』

 
 迫水久常は鈴木貫太郎内閣の書記官長。

 

 

 山田乙三は背の低い年寄りじみた男で、日ごろは動作は落ち着いていたし、話し方もゆっくりしていたが、この日は様子がすっかり変っていた。彼は日本軍がどれほど早くから充分の準備をしていたか、どのように必勝の信念を持っているか、ということをせかせかと私に説いた。話すにつれてますます早くなる口調が、彼自身も充分の準備と信念を持っていないことを完全に証明していた。
 彼の話が終わらないうちに、突然空襲警報が鳴り出した。私たちはいっせいに同徳殿の外の防空壕に入った。入って間もなく、あまり遠くないところで爆発音が起こったのが聞こえた。私は念仏を唱え、山田乙三は黙り込んでいた。警報が解除になって私たちが分かれるときまで、彼はもう信念の問題などに触れなかった。

     愛新覚羅溥儀 『わが半生』

 
 溥儀は、もちろん満洲國皇帝。山田乙三は関東軍司令官。

 

 

 無条件降伏に関する本年七月二十六日の要求は、日本により拒否せられたり。よって極東戦争に対する日本政府のソ連に対する調停方の斡旋は、全くその基礎を失いたり。日本の降伏拒否にかんがみ、連合国はソ連政府に対し、同政府が日本の侵略に対する戦争に参加し、以って戦争の終了を促進し、犠牲者の数を減少し、かつ急速に一般的平和の恢復に質すべく提案せり。ソ連政府はその連合国に対する義務に従い、連合国の右提案を受諾し、本年七月二十六日の連合国宣言に参加せり。

     ソ連政府の宣戦布告文より

 

 

 
 開戦前より対ソ和平に就ては三国同盟の前より少なからず期する処あり。不可侵迄至らざりしも日ソ和平条約を喜び十六年六月独逸の対ソ開戦に裏切られ爾後独ソ和平を望み又最近に於ては日ソ修交を希念せしが茲に至りて全部水の泡となれり。帝國は之にて全世界を相手として戦ふに至る。運命なる哉、今更泣き事は云はず。敗れても悔いなき一戦に最後のご奉公を期するのみ磋!

     宇垣纏 『戦藻録』

 
 宇垣は、第五航空艦隊司令長官。終戦の日に、自らの操縦で特攻した。

 

 

 交渉決裂の後戦争に勝つ見込みがあるのかと質問したが、陸相は最後の勝利を得る確算は立たないが末だ一戦は交へらるると云った。それで自分は更に日本の本土に敵を上陸させない丈の成算があるかと聞いたが、参謀総長は非常にうまく行けば撃退も可能であるが戦争であるからうまく行くと計りは考へられない。結局幾割かの上陸可能を認めなくてはならぬが上陸に際して敵に大損害を与へ得る自信はあると言ふ訳だ。それで自分は今の陸軍側の説明からすると上陸部隊に大損害を与へても一部は上陸して来る可能性があることであるが、敵は第一次上陸作戦に十分の成果を収めなくても間もなく第二次作戦に出づるは明らかだ、そして我方では第一次上陸を撃退する為に飛行機其他の重要兵器は殆ど全部喪失して其後短期間に補充の見込みは立たないから、原子爆弾の問題は別としても第一次上陸作戦以後の日本の地位は全く弱いものになってしまうではないか、即ち日本は尚一戦を交え得るが其一戦を交へた後の日本の地位を敵国の地位に比較すれば我方は第一次上陸作戦以前よりも甚しく不利な状況に陥るのであるから、成るべく此際直に戦争を終結する以外に方法なしと云ふことになる、従て又日本としては絶対に必要なる条件のみを提出して和平の成立を計ることが絶対に必要だと述べ、随分烈しい議論を交へた。

     東郷茂徳 『時代の一面』


 最高戦争指導会議での、外務大臣としての発言。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/09 23:59 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/37742

 

 

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