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2008年11月25日 (火)

現代史のトラウマ、その4 なんて題で書いてしまう今日もフツー日記

 

 ちなみに、ここで第二次大戦という呼称をもちいた、欧州での戦争に言及しておけば、それはナチス・ドイツによる、欧州の主権国家への侵略戦争であった、そのように性格付けすることが出来ます。基本的に植民地宗主国への戦争であった(支那事変を除外すれば)大東亜戦争と戦争の性格自体が大きく違うことにも留意しておく必要を感じます。

 イラク戦争に関連させた議論を付け加えれば、ブッシュ政権の「テロとの戦い」政策の遂行においての、テロ国家、テロ支援国家を外交交渉の対象としないという原則、これはかつて支那事変の泥沼化に先立つ「国民政府を交渉の対手とせず」という大日本帝国の採用とした態度を髣髴とさせるもののように思えます。自ら交渉の道を断ってしまっては、解決の道は失われるということにしかなりません。しかし言い出してしまった以上、後戻りは出来ない、というところなのでしょう。


 一般的には、憲法改正論者は現実主義者であるということになっています。が、現実には、それほど現実的ではない、というのが私の感想です。
 武力行使を前提としない外交交渉すらまともに出来もせずに、武力行使の道具を身につけたからといって、それで外交交渉が上手くいくなどと考えることこそ幻想的です。大ケガするのがオチです。
 現実的考えというのはこのようなものでなければ、それは信ずるに値しません。いや、現実的考えとは、信ずるものではなく、考えるものでなくてはならない、というべきなのでしょう。
 考えていないという点においては、憲法9条擁護論の多くにも、同様のコメントが出来るでしょう。
 私はどっちの味方、であるわけでもありません。とにかく、話をしろ、議論をしろ、相手を説得してみろ、大きな声は出すな、これを言いたいだけです。


 話をする、議論をする、相手を説得する、大きな声は出さない、これをこの国のマジョリティができるようになれば、憲法9条を改正しようと、自衛軍を持とうと、そんなに大ケガすることもないだろう。これが結論でしょうか。

 しかし、その期待がちっとも現実的に見えないところが唯一の難点なのですがね。



 本日もいぢわるはなし、どんなもんだい?

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2006/10/08 12:41 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/2307/user_id/316274

 

 

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