« 発掘された1993年の大量虐殺……? | トップページ | 教育勅語の生態学 (現代史のトラウマ 31) »

2008年11月26日 (水)

正義と平和の間の真理

 

 教育基本法について、久しぶりに書いておこうと思う。

 まずは、今日の毎日新聞朝刊2面の「発信箱」欄、編集局の広岩近広氏の署名のある文章を引く。

 

今年の小学1年生は、改正教育基本法のもとで義務教育のスタートをきる。私が懸念をいだくのは平和教育である。
というのも、昨年12月に改正された教育基本法の前文が旧法と異なっているからだ。「人間の育成を期する」につながる記述で、旧法には「真理と平和を希求する」とある。ところが新法では「真理と正義を希求し」に変わった。「平和」がなくなり「正義」が登場したのである。
私は「正義」という言葉にうさんくささを覚える。駆け出し時代には、支局長から「新聞記者は正義の味方・月光仮面になってはいけない」と諭された。一方的な視点で記事を書くなということで、その通りだと戒めている。それだけではない。米国の例を持ち出すまでもなく、他国に軍事介入するときはたいがい「正義の戦い」となる。こうなると「正義」は「平和」の対極に位置するだろう。

 

 次に、新旧教育基本法該当箇所を示す。

 

われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目差す教育を普及徹底しなければならない。 (旧教育基本法)
 
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を追求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造をめざす教育を推進する。 (「改正」教育基本法)

 

 ここでは、「個人の尊厳」、「真理」、「平和」、「正義」、「公共の精神」、「伝統」といった文言にこめられた意味が問題となる。

 それぞれについて論じておきたいところだが、ここでは、問題の「平和」から「正義」への変更がはらむ問題だけに絞って、話を進めておきたい。

 「平和」とは誰でも納得出来る定義のある状態でる。つまり、戦争状態がそこにあってはいけない。国家間の戦争に加え、内戦状態や武力衝突のない状態、広義には治安の安定した状態まで含まれるだろう。武力による支配、暴力による支配の排除された状態だ。具体的内実のある状態、そう述べることが出来るだろう。

 「正義」は、それとは異なる。正義には具体的内実はない。
 不正な状態があり、そこからの補正が「正義」の作用である。固定した正義の立場は存在しない。
 ユダヤ人に対するナチスドイツの迫害から、ユダヤ人を救い出すことへの努力は「正義」に適った行為であろう。この時、「正義」は迫害されたユダヤ人の側にあった。
 しかし、パレスチナの地で、パレスチナ人の人権に対する侵害行為を公然と行なっているイスラエル国家の行為を、「正義」に適った行為と考えることは出来ない。イスラエル国民の側に、つまりイスラエルに住むユダヤ人の側に「正義」があるとは考え難い。
 「正義」に適った行為があるとすれば、イスラエル国家による人権への公然たる侵害からパレスチナ人を保護することにこそあるだろう。

 人間が人間を踏みつけにすること。そのこと自体は、避け難いことである、と私は思う。望ましいことではないが、生じてしまうことであると思わざるをえない。それはリアリストとしての私の認識である。
 しかし、そのような状態に対し敏感になること。そのような状態の発生を感知したら、その是正を目標とすることは出来る。
 その「是正」への努力、そこに「正義」は宿るだろう。人間が人間を踏みつけにしているような事態を放置しないための努力、そう言えばよいだろうか。

 さて、そのように考える私として、先の「改正」教育基本法の文言に、どこまでそのような反省的視点が盛り込まれているのか、大きな疑問を持たざるをえないのである。
 新旧教育基本法の字句の相違、大したことはないとも考えられる。
 しかし、「改正」の経緯、現在までの教育再生会議内での議論のあり方を見る限り、先に紹介した広岩氏の危惧を否定出来るほど楽観的にはなれないのである。


 人間が人間を踏みつけにすること、「正義」という口実の下に人間が人間を公然と踏みつけにすること。
 それは人類の歴史において、実にありふれた出来事であった。
 そのことをこそ、まずは見つめておくべきである。そう言わざるを得ない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/03/25 21:44 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/26254/user_id/316274

 

 

|

« 発掘された1993年の大量虐殺……? | トップページ | 教育勅語の生態学 (現代史のトラウマ 31) »

マイノリティーとマジョリティーの間」カテゴリの記事

教育、そして憲法」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25660772

この記事へのトラックバック一覧です: 正義と平和の間の真理:

« 発掘された1993年の大量虐殺……? | トップページ | 教育勅語の生態学 (現代史のトラウマ 31) »