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2008年11月26日 (水)

反革命的な? いつもの長さの、しかし革命を語る日記

 

 現状に満足している者は、革命には無縁である。

 不満があるからこそ、卓袱台はひっくり返される。

 しかし、卓袱台をひっくり返したからといって、現状は改善されない。

 事態は、悪くなるだけだ。空腹は癒されず、せっかくの食事は畳の上だ。茶碗は割れ、味噌汁はこぼれ、と何も良いことなどない。

 考えが足りなかったのだ。

 どこにも、計画性というものがない。卓袱台をひっくり返したら、それで、何が得られるのか、それがまったく考えられてはいなかった。

 では、どのように卓袱台ひっくり返しを計画すればよかったのか、それを考えておくべきだった、と考えるのは、単なる大馬鹿者である。

 自分は何に不満があったのか、何が達成されれば満足出来るのか、それを考えておかなければならない、はずだ。本当に何かを求めていたのなら。

 もっとも、卓袱台をひっくり返しさえすれば、それで目的は達成出来ていたのかも知れない。
 この家で、卓袱台をひっくり返せるのはオレだ、オレだけが卓袱台をひっくり返せるのだ、とアピールすることで。

 しかし、それは、妻子がそれに耐えていてくれる間だけのことだ。妻子に見捨てられた暁には、話にならない。
 つまり、妻子の方が革命を起こしてしまえば、ということだ。



 まぁ、歴史を振り返ってみれば、なんともありふれた話である。

 1989年の終わり。ルーマニアでの出来事を思い出す。

 ニコラ・チャウシェスクは革命の指導者であった。
 ルーマニアの指導者であっただけではない。
 ソ連を盟主としたワルシャワ条約機構に反旗を翻し、成功を収めた数少ない東欧国家の指導者でもあった。
 実際、1968年、春を謳歌したプラハの労働者にとって、チャウシェスクは希望の星であったのだ。

 しかし、時は流れ、チャウシェスクは、東欧の社会主義諸国の中でも悪名高い独裁者として知られるようになる。
 ルーマニアでただ一人、卓袱台をひっくり返すことの出来る人物となったのであった。

 社会主義世界、共産党の支配する世界での最大の問題点の一つは、支配政権、支配政党、そして支配者自身が、労働者の代表と定義されていることだ。
 現実に、その世界に住む労働者の権利・生活がどん底にあろうが、労働者達は反抗の対象を持たないのである。
 自分達の現状をもたらしたのが、現実には、支配政権であり、支配政党であり、支配者達であることは確かであっても、それは労働者の代表なのであり、反抗の対象とはなりえないのである。
 自分達の代表に反抗出来るはずがないのである、論理的には。しかし、自分達を苦しめているのが、まさに自分達の代表なのであったという、何とも不条理きわまる事態!!
 そんな事態の中に、東欧の労働者は置かれ続けてしまったのであった。

 オレはお前達の為を思って卓袱台をひっくり返しているんだ、そんなことを主張するオヤジの下で暮らす妻子の姿、みたいなものだ。

 しかし、1989年12月の終わり、ルーマニアの労働者達は、チャウシェスクに愛想を尽かし、最後には処刑してしまった。
 革命の指導者が新たな革命の対象となってしまったわけだ。

 ルーマニアの労働者達は、チャウシェスクという名の卓袱台をひっくり返したわけだ。

 しかし、現在、ルーマニアの労働者達が満足に値する世界を獲得出来たという話は聞かない。

 いずれにしても、大変なのは、卓袱台をひっくり返した後のこと、そういうことなのだろう。

 

 

  

(オリジナルは、投稿日時:2007/02/25 17:24 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/23282/user_id/316274

 

 

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