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2008年11月25日 (火)

岡本太郎 『日本の伝統』 2

 さて、岡本太郎の『日本の伝統』。最終章「伝統論の新しい展開」から、

 
 

 今までは伝統というものを、パティキュラーな狭いものと考えていました。京都の伝統、薩摩の伝統、少しひろがって日本の伝統、東洋の伝統、それに対立する西洋の伝統というふうに、人種とか国境、民族、そういう枠で過去を裁断し、局限して捉えようとしたのです。ひらかれた世界性に対して、閉ざされた枠、制約。そういうものによって局限された世界、特殊性を受けついで行くのが伝統であり、「現在」は、反対に無限にひらかれた世界的な世界の可能性にたたされている。というのが伝統とか現代文化に対する一般的な考え方でした。 
 だが実はそうじゃない。私が言いたいのは逆だ。今日、過去の方は非常に広大に、全世界的にひろがって来ています。さっきも言ったように、民族とか国境とかいう狭い枠をぬきにして、すべて現在的な感動、今日の血肉となっている過去、現在的な感動をもってわれわれが関心をもつすべては、われわれの受けた遺産です。そしてその遺産は、そのうけるものの分量において無限にうちひらかれているのです。

 創造は本来、極めてパティキュラーなものです。それはほとんど一人だけの孤独な作業なのです。しかもいま言ったような局限された特殊な状況を土台にして創り出す場合、しぼられた特殊な様相をおびるのは当然です。おのれをのりこえるということは、極端におのれ自身になりきること以外にはありません。

 過去をどんらんに無限大にまでひらいて、現在のパティキュラリティーは逆に局限までちぢめて考えるべきだと私は思うのです。ちょうど袋にいっぱいに空気をつめて、口をキュッとしめたように。その締めた口のところが現在の自分です。うんとふくらました中には世界のあらゆる過去の遺産、財宝が豊かにとり込まれています。緊密に締めれば締めるほど、中の空気はビューッと、凄い勢いでふき出る。それがつまり創造活動であり、その口のあり方がオリジナリティ、創造の契機なのです。先に言ったような現実のパティキュラリティーは逆に考えれば、その口のあり方の独自性を強烈にプラスする条件です。
 ところが今までの伝統主義者のとっていた手続きは逆でした。いつでも、伝統の名において過去をひどく狭めて考える。そして逆に現在をルーズに開放される場所としてみるのです。つまり、われわれは日本人である。千利休のような審美眼をもち、奥の細道みたいな気分になり、モノノアワレをうち出し、ユーゲンな味をこめ、そういう土台にのっとってひろく世界に通じるような仕事をしようという考えです。袋の方はしぼっておいて、口の方ばっかりひろげて見せたりしても、駄目。せいぜいすかした味ぐらいで、そこからはとうてい猛烈な創造のエネルギーは出て来ないのです。

 

 

 …という、書中の個々の作品評価にすべて同意出来るわけではない。岡本太郎の芸術論に全面的同意もしません、私は。

 しかし、冒頭第1章の「伝統とは創造である」、そして最終章「伝統論の新しい展開」で岡本太郎が主張していることには共感出来ます。非常に共感します。


 ここにあるのは伝統の消費者の姿ではありません。後生大事に先祖伝来の品を取り出し、それを並べて、そこに自分自身の価値を重ねて悦に入り、他人を見下しているような人物ではない、ということです。

 ある時代に生まれ合わせた者として、その時代の制約を自らのものとして引き受け、しかしその時代を超えたところへと自らを導き、創造する者の姿がそこにあるということです。

 伝統とは、自分に都合の良い物語などではなく、今ここに生きている自分を成り立たせているもの全てなのであり、そこに正面から立ち向かい引き受けるものだけが新たな伝統の担い手となる、そういうことでしょう。


 中身のない自分に勿体を付けるためのものではないわけです。


 私がここで岡本太郎の『日本の伝統』を取り上げたのも、最近の「美しい国」をめぐる議論の中での「伝統」像の歪みを見過ごす気になれなかったからでしょう。
自らを拠って立たしめるものとしての「伝統」を考えることは大事なことです。しかし、それは先祖の遺産を自慢する行為とは別のことでなければなりません。

 まぁ、先祖の遺産の自慢という文脈で言えば、つまり自らの創造物ではない収集品の自慢の「伝統」を考えれば、アキバ系オタク文化こそ我が日本の伝統文化の粋、そのような言い方も出来ますが。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/02/04 00:36 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/20888/user_id/316274

 

 

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