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2008年11月25日 (火)

自虐とプライド、そして歴史 (現代史のトラウマ 14)

 

 自虐史観、という言い方がある。

 もう一つよくわからない話なのである。

 自虐史観。ではその反対は何なんだ、逆は何なんだ、と私が考えてしまうからだろう。

 他虐史観ということなのか?
 それとも自尊史観、自慢史観、自賛史観とでもいうことになるのだろうか。

 どうも私の思考回路は、そんな方向に考えを進めてしまうのである。

 そういうことでは、多分、ないのだろうなぁ、とは思う。

 しかし、自虐でなければ他虐ではないのかなぁ。
 自虐でなければ、やはり、自尊、自慢、自賛ではないのかなぁ、と思ってしまう。

 他虐、つまり、他を貶めることで自らの位置を引き上げる、つまり、自尊、自慢、自賛ということではないのか、と我が思考回路は考えを進めてしまうのである。

 どっか違うのだろうか、考え方が。


 自身にひきつけて考える。
 ミニマムな歴史としての我が人生、これまでの行為とその結果、経験の総体を思い起こす。記憶に残る、我が経験の総体としてのこれまでの人生を思い起こしてみる、わけだ。

 まぁ、お恥ずかしい話ばかりで、他人様に語るようなことはない。

 その中でも、ダメージ体験、自分がヒドイ目にあったと感じられるような出来事を思い起こす。
 大抵は、自ら招いたこと、我が愚かさの報いでしかない。
 いまだに愚かであることには変わりはないので、下手をすれば、二の舞三の舞が待ち受けているだけだ。しかし、少なくとも、原因の一端が自分にある以上、その自覚がある以上、繰り返しを避ける手立てもないわけではない。
 他人のせいにしておけば、自分の愚かさを自覚する必要はなく、利口だと思っていられるのだろう。
 しかし、それでは、同じ過ちを何度でも繰り返すだけのこと。何度でも、何事でも、他人のせいにしておけば済むことなのかも知れないが、それは経験から何も学ばない、学べない自分を永遠に存在させることを意味してしまう(といっても死ぬまでのことに過ぎないわけだが)。
 いずれにせよ、大したことのない自分である。それで十分と思っているのである。他人を貶めて、相対的に自分の位置を高めて、自分の方がエライと思うことの必要を感じない。そんなことは、なんか浅ましくてみっともないことなんじゃないかとさえ思う。

 …とミニマムな歴史としてのこれまでの自分を振り返ってみる。


 自虐史観、問題とされているのは国家の歴史、大きな歴史だ。
 「自存自衛」のための戦争を決断し、戦い、敗北した。大日本帝國は歴史から消えた(自衛出来ず、存在を失った)。開戦を決断し、戦争を指導し、国家を敗北の窮地に立たせた政治的軍事的指導者が占領軍による報復的裁判で死刑に処せられた。
 その一連の過程を、自らの責任として受け入れずして、対戦国のせいにして、何が得られるのかと思う。敗戦を、言葉通り「負け」として受け入れること。敗戦に至る国家の歴史を直視し、その過程を他国のせいにするのではなく、自国の政治的・外交的・軍事的失敗としてしっかり受け止めること。
 必要なのは、歴史に対するそのような態度であると思う。それは自虐ではない。他虐でもなく、自存、自慢、自賛でもなく歴史に向かうこと。
 国家の歴史、大きな歴史を前にしても、未来を開くのはそのような態度であると思う。

 プライドというのは、自分の方がエライと主張すること、自分は決してマチガッテナイと主張することで表現されるのではないのではないか。尊敬されるのは、過ちを犯したら改めることの出来る人間の方なのである。
 別に尊敬されなくてもよいが、私にとって、プライドとは、そのようなものなのである。そういうものではないのだろうか?

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2006/12/10 21:48 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/14063/user_id/316274

 

 

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