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2008年11月27日 (木)

「しょうがない」のは誰か? 久間発言再説 後

 

(《「しょうがない」のは誰か? 久間発言再説 前 》の続きです)


 さて、久間氏の発言はどうだろうか?

 まず、「ポツダム宣言黙殺」をめぐる上記のいきさつを考えてみよう。
 久間発言は、歴史的経緯の理解に誤りがある。そもそもソ連参戦は、

 
連合国はソ連政府に対し、同政府が日本の侵略に対する戦争に参加し、以って戦争の終了を促進し、犠牲者の数を減少し、かつ急速に一般的平和の恢復に質すべく提案せり。ソ連政府はその連合国に対する義務に従い、連合国の右提案を受諾し、本年七月二十六日の連合国宣言に参加せり。

 
として正当化されているのである。現実に起きたことは久間発言とは逆なのである。連合国の要請により、ソ連は参戦しているのだ。
 実際、5月のドイツ降伏の時点で、ソ連は聯合国の要請に対し、3ヵ月後の参戦を約していたのである。そして8月9日、5月8日のドイツ降伏から3ヶ月過ぎての参戦となっている。
 しかも、そこでの正当化の理由に、鈴木首相の「ポツダム宣言黙殺」発言が利用されているのだ。
 政治家としての不適切な発言と言わざるを得ない所以である。

 歴史上の事実関係あるいは前後関係の問題、これは歴史観の問題ではなく、単なる歴史上の事実認定の問題だ。久間発言の前提が、既に誤りなのである。
 つまるところ、そこにあるのは、事実に基づかない政治家の発言ということなのである。


 その上での、 

  
 長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。

 
という発言である。被爆者にとって、そのために死んだ者にとって、「しょうがない」事態などないのだと思う。
 少なくとも、他人がそれを「しょうがない」という言葉で言うべきではないと、私は思うのだ。
 当事者が「しょうがない」出来事として自らの気持を整理することと、他人がそれを「しょうがない」と言ってしまうことではまったく話が違ってしまう。

 また、被爆者の死を、本土決戦で生じると予想される莫大な数の犠牲者と取引可能なものと考えるような、原爆使用の正当化にも問題がある(久間氏がそのように主張しているかどうかは微妙であるので、ここでは、一般的な原爆正当化の問題として考えておきたい)。
 一人の人間の命は、交換可能なものではない。
 まずは、そこで死にいかざるを得なかった一人の人間の命の重さを考えなければならない。
 自ら志願して犠牲となった広島市民も長崎市民もいないのである。そこには理不尽な死があるだけだ。
 政治家に限らず、そのことへの想像力を欠いてはならないと思う。



 それに政治家が「しょうがない」なんて言葉を使ってはオシマイではないか。責任感というものからこれだけ距離のある言葉もないだろう。

 鈴木貫太郎首相の、政治家として不適切極まりない発言の上に、原爆使用もソ連参戦も正当化されていた。
 その事実への無理解の上に、久間氏の、これまた不適切な発言が存在している。

 まったくもって、「しょうがない」話なのである。


― ― ―

以下、追記(8月26日)

 本日、「東京大空襲・戦災資料センター」を再訪した際に、一階の資料室で見つけた文書の内容をご紹介いたしましょう。

大屋久壽 『終戦の前夜』 昭和20年12月15日 時事通信社刊

 数ページの薄いパンフレットですが、「御聖断遂に降る」という見出しの後に、

 
 今から思へばソ聯の参戦といふことがなかったならば、原子爆弾のみでは或ひはこのやうに急速な終戦はやって来なかったかも知れない。この意味では、ソ聯の参戦はその宣戦布告にも云ってゐるやうに、確かに「平和の招来を早からしめた。」ソ聯から宣戦されることによって政治的な唯一の活路をもまた閉ざされた日本は、戦力の点ではこれよりずっと以前に完全に参ってゐたのである。いまはもはや無条件降伏以外に潰滅から免れる方法は残されてゐなかったのである。軍部、殊に陸軍の一部に行はれてゐたやうな無謀極まる自滅戦術――皇国を焦土と化して一億玉砕のゲリラ抗戦を継続するといふ狂気沙汰に興せざる限り政府當路としてここでなすべきことは既に決まっていたのである。

 
という記述を見つけました。
 昭和20年当時の、問題への認識の一端を、ここに読むことが出来るでしょう。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/25 22:09 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/38947/user_id/316274

 

 

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