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2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月六日の日記

 

 八月六日月曜日二十八夜。晴あつし。午前五時五十五分警戒警報。B29一機なり。次いで午前七時三十五分警戒警報、同五十五分空襲警報にて又昨日の如くP51編隊の来襲を報ず。終り頃西北の空に砲声を聞きたり。九時五十五分空襲警報解除、十時十分警戒警報も解除となる。本当の夏らしき暑さになったから今日から夏服に着かえる。きびら色にて真白ではないが小型機の来襲にそなえて白い物は着るなと新聞などで頻りに云っているので小型機は構わぬとしても行人や電車の相客の目が五月蠅いから成る可くよそうと思ったけれど外に無いのだから止むを得ない。構わずに着て歩くことにせり。当の相手のことは構わぬけれど、こちらの側の仲間の目が五月蠅いから、口が八釜敷いから、という気兼ねは満洲事変日支事変以来の普通の感情なり。こんな事がどれ丈日本人を意気地無しにしたか解らない。午後出社す。早めに帰る。夏らしく暑し。電車から降りて四谷の歩廊を渡る風に吹かれて暫らく涼むのはこの頃毎日の仕来りなり。今日もそうしていたら大きな顔の男が階段から下りて来た。普通の顔の何倍もある位大きい。相撲取りだと気がついたが国民服を着てゲートルを巻いている風態は常人と変わらない。ただ顔ばかり大きくその顔が頬骨が飛び出して目がくぼんで厚いきたない唇が突き出ていて、大きいなりに貧弱である。この頃の食べ物で相撲取りがこんな顔になったのだと云うことを考えて見たが可笑しくも面白くもなかった。留守に青木の弟来たりし由。今日は配給のお米あり。但しお米は六㌔にて大豆が十四㌔なる由。しかもそのお米は脱脂豆がうんと這入っていると云いて家内こぼす。

     内田百閒 『東京焼盡』

 

 内田百閒の日記に、広島への原爆投下が記録されるのは、8月9日になってからのことである。
 百閒がこの日記を記している時刻には、広島には惨状が広がっていた。

 

 

六日(月) 晴
 ○丸山国民学校の内部は一部工場化されつつある。機械すえつけ作業にモンペ姿の女学生たちが動員されて、灼けつくような炎天の下を、営々として蟻のごとく石塊を運ばせられている。
 ○ドイツ処分案苛酷を極む。トルーマン、チャーチル、スターリンの三人は、人間の馬鹿の見本である。
 そう思うと実に人類の滑稽を感じるが、しかし現実に第二のドイツと目されている日本を思うとき、決して笑いごとではない。滑稽なる喜劇であればこそ、敗北せる当事国はいっそう悲惨な、戦慄すべき状態となる。
 決して敗けられない。況んや降伏をや。降伏するより全部滅亡した方が、慷慨とか理念とかはさておいて、事実として幸福である。

     山田風太郎 『戦中派不戦日記』

 

 山田風太郎は、当時23歳の医学生として、長野県に疎開していた。8日の日記に「広島空襲に関する大本営発表」が記録されている。

 

 

 八月六日(月)         快晴 頗暑 六、〇〇 一〇、〇〇
 昨夜おそかったので今朝はねむい。山内へ行き、日光署長に会って蔵のことを頼む。十一時帰宅、君子、子供二人と一緒に寂光の滝へ行く。水源地の流れで握り飯を食べ滝で馬鈴薯を食べる。滝は君子、令子始めての事で非常に感心してゐた。全くいつ見てもいい滝である。帰りは薪を一杯拾って帰る。こんなに四人で散歩が出来ようとは夢にも思わなかった。夕食、食事をしてゐると「かつ」から電報で明日待ってゐるとの事、皆明日行くことになる。折角御用の都合をつけて日光まで来て二日間会へるのを何よりの楽しみにしてゐたのに全くがっかりして了つたがどうにも仕様がない。皆宮司の所に風呂をもらひに行く。予は早くから入床、夜君子と少し話をして間もなく寝て了ふ。今日は空襲もない。
  日光滞在

     入江相政 『入江相政日記』

 

 昭和天皇の侍従である。家族での休日。



 昭和20年8月6日の日記から、広島原爆投下当日の、それぞれの日常を拾ってみた。

 この時点では、誰も、広島の惨状を知らないのである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/06 22:27 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37465/user_id/316274

 

 

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