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2008年11月26日 (水)

教育勅語の生態学 (現代史のトラウマ 31)

 

敎育ニ關スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽


…と、勅語には書かれている。読み通せました?

 明治時代の教養人にとっては、漢文は必須であり、このような表現自体はその延長とも考えられる。
 しかし、こんな言葉遣いで会話をしていたわけではない。
 勅語下付の対象となった国民の多くにとっては、単なる呪文であった。

 いずれにせよ、文章が漢文体で書かれているからといって、その内容に格調があるというわけでもない。世の中には、漢文で書かれたポルノも存在していたわけである。まぁ、それは格調高いポルノなのだ、そう主張することも出来ないわけではないだろうが、内容はポルノである。ポルノにはポルノの存在理由があり、それは、漢文で書かれているかどうかで評価されるものではない。現代人の眼からは、漢文体は古めかしく、格調高く感じられるだけのことに過ぎない。

 ハナシを教育勅語に戻せば、その評価は、文体ではなく、内容で吟味されるべき事柄なのである。そして、時代の流れの中で果たした機能において。

 内容的には、家族間のことから、社会的関係、そして国家との関係にいたる、大日本帝國臣民としての、道徳的目標が書かれている。

 家族間のことでいえば、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」という文言がある。記録に残されている限りでも、ギリシア悲劇の時代から、人類の課題となっているものであろう。まぁ、普遍性ある道徳的目標と考えることが出来る。

 国家との関係でいえば、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文言に焦点が当てられるだろうが、これも帝国主義が地球上を覆った時代の相を考えれば理解は可能である。列国によるアジア・アフリカの植民地化の進展の中での、国家的独立の維持は、明治国家にとっても課題であった。
 もちろん一方には、統治の都合という側面もある。反抗的でない国民の養成は、統治者にとって望ましい事柄である。
 両面に眼配りをすることが、正当な評価につながるだろう。


 昭和期になると、大日本帝國憲法における「神聖不可侵」の天皇の地位と、勅語が重ね合わせられ、国民統治の道具としての機能をフルに発揮することになる。
 もはや、大日本帝國は列強による植民地化の対象となりうる存在ではない。自らが植民地的権益の獲得を目標とする存在となっている。軍事力による勢力圏拡大こそが「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼ス」る道として観念されている時代なのである。

 その過程の進行が、大東亜戦争に帰結し、大日本帝國は亡びることとなった。そこでは、臣民の多くの命が失われたのである。対戦国及び戦場となった土地住民の命も失われていることも忘れるべきではない。
 家族に関する普遍的道徳目標が文言として採用されているからといって、教育勅語そのものの復権・評価を目指すような試みには、私は、同意出来ない。

 昭和という時代に、大日本帝國が日本国へと生まれ変わり、大日本帝國憲法から日本国憲法へという変化も経験している。しかし、ここで「国体(國體)」は護持されているという点も忘れてはならないだろう。依然として、天皇の地位は、国家にとって不可欠のものとしてとどまっているということだ。
 教育勅語が天皇の言葉であることで問題視する人々に言いたいことは、日本国憲法も天皇の名により公布されていることを忘れるべきではない、ということである。
 そして、教育勅語賛美を試みる人々に言いたいことは、昭和期の歴史の中で、そのような教育勅語の神聖化が、まさに我が「国体」の危機を招来した事実を直視しろということである。我が亡国の歴史を直視しろ、そういうことだ。

 葉の形だけを見て、樹木を考えない、森林を考えない、そのような試みからは、(森の住民にとっては)、愚かな結果しか得られないだろう。生態学的思考が求められるわけである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/04/22 13:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/29016/user_id/316274

 

 

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