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2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月十六日 「翌る日」

 

 八月十六日木曜日八夜。今日辺りから日本の新しき日が始まると思う。そのつもりにて昨日の欄と今日の欄の間をあけた。朝曇。午まえから晴れた。昨夜八時半就褥。間で目はさめたが今朝は六時半に起床す。起きた後でよく寝たものと感心す。午前十時五分警戒警報、B29一機宛二機なり。初めに三機と放送したが内一つはB24であったと訂正した。東京の空へは来たらず。昨夕の松木男爵の話の様な事は何人も心配する処なれど幸いにそんな事もないとすれば防空警報のサイレンを聞くのも大体これがお仕舞となるのではないかと思う。午前十一時解除となる。午、今は鎌倉に行っているもとの又隣りの岡本のご主人来り自作の胡瓜を三本くれた。この頃の胡瓜は昔に食べた林檎バナナ水蜜桃葡萄等の水菓子から一切の野菜類は更なり清涼飲料の炭酸水ジンジャーエールやアイスクリームシャベェ迄も含めた食べ物になっている。毎日食べているが途切れると困る。

     内田百閒 『東京消盡』

 

 
 この日、入江相政の日記も、

 
 昨夜は実によく寝た。

 
という言葉で始まっている。入江は前日の日記で、「昨夜五十分しか寝ないので七時半頃には入床」と書いていた。
 14日に塩原から帰京し、そのまま「玉音放送」の録音、そして近衛師団の蜂起、正午の玉音放送前後の枢密院本会議…と続く、あわただしい一日を送っていたのである。日記によれば、15日の入眠が8時、16日の起床が7時。11時間は眠っていることになる。


 百閒の日記にある、「昨夕の松木男爵の話の様な事」とは15日の日記の、

 
 古日と話している時小屋の前の薄暗がりにバロン松木起ちポツダム宣言受諾の詔勅は下ったけれど陸軍に盲動の兆ありとの話をきく。こちらの戦闘機が出撃する事になれば向うも又大いにやって来るに違いないから若し警報が鳴ったら間違いと思わずに矢張り防空壕に御這入りになる様にと注意してくれた。

 
という話だ。

 

 
 八月十六日
 朝、警報
 小田の小母さん来たり、その話では世田谷の方に日本の飛行機がビラを撒いた。それには、特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよと書いてあったという。――勃然と怒りを覚えた。
 北鎌倉駅を兵隊が警備している。物々しい空気だ。円覚寺、明月院の前、建長寺にも、これは海軍の兵隊が銃を持って立っている。「文庫」へ行くと、横須賀航空隊の司令官が少壮将校に監禁され、航空隊はあくまで戦うと頑張っているという。
 飛行機がビラを撒いた。東京の話も事実と思われる。
 黒い灰が空に舞っている。紙を焼いているに違いない。――東京から帰って来た永井君の話では、東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。鉄道でも書類を焼いている。戦闘隊組織に関する書類らしいという。
「文庫」で会った人。里見、川端、中山夫妻(今日の当番)、国木田虎雄、岡田、林房雄、小林秀雄(両名酔っている)今、永井等。
 家に帰ると新聞が来ていた。阿南陸相自刃。読売記事中に「支那事変勃発以来八年間に国務大臣として責任を感じて自刃した唯一の人である」と書いてある。背後に皮肉が感じられる。鈴木内閣総辞職。休戦協定の聯合国代表にマッカーサーが指定されたらしいというストックホルム電。毎日、読売両紙とも、二重橋前に人々が額ずいている写真を掲げ、見出しは「地に伏して粛然聖恩に咽ぶ」(読売)「“忠誠足らざる”を詫び奉る」(毎日)
 原子爆弾の恐るべき威力に関する記事。休戦発表前までは曖昧に言葉を濁していたが、あまりどうも露骨すぎる。社説は「気力を新たにせよ」(読売)「強靭な団結力と整然たる秩序、時艱突破の基盤」(毎日)

     高見順 『敗戦日記』

 
 バロン松木の「話の様なこと」の実際の状況が書かれている。

 

 

 翌る日、新聞を手にして、「詔書」を拝読し、御前会議の模様などを知った。お母さまは、長いこと、三畳の間に、ひとりでいらっしゃった。
 それから二、三日何もせず、廊下のベットに寝て、終日横光利一氏の、「春園」を読んでいた。読んでいると、何かを忘れていることが出来た。昔のブルジョア家庭の変屈な老人や男女の雰囲気を書いた小説を読んでいると、不思議な気持になって行った。
 何処へも行きたくなかった。ぼんやり「春園」を読んでいた。お母さまも又、何を思ってか「クレーブの奥方」を読んでいらっしゃった。きっと静子と同じようなお気持であったのだろう。

     太田静子 『斜陽日記』

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/16 23:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/38289/user_id/316274

 

 

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