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2008年11月25日 (火)

自殺に至るいじめ 学校と軍隊 (現代史のトラウマ その10)

 

 自殺に至るイジメ、について考える。

 その前に、イジメを生み出す心理的基盤について。

 自己肯定感をもてない者が、他者を踏みつけにすることによって、相対的に自分の位置を引き上げ、自己肯定への途とするような心理のあり方(このことについては、以前に書いた「ありふれた大量虐殺」へのコメント参照)。
 そのような行為を集団ですることによる、集団帰属意識の維持(そのためには、排除される他者を必要とする)。

 上記二項の組み合わせによる行為の増幅過程。集団への帰属=安全地帯であり、安全地帯での自分の場の維持にはイジメ行為への継続的加担が要請される。


 そのようなことをまず考える。もちろん一面をとらえたに過ぎないことは、言うまでもない。


 その上で、現在のイジメの問題、それが自殺に至るものとなってしまっていることの意味について考える。

 自殺に至るイジメ、について考える上で、現在見落とされている事実をまず指摘する。
 近代日本史を見渡した時、自殺に至るいじめの存在が顕著に見出される場がある。歴史的に見出される、自殺に至るイジメである。

 大日本帝国軍隊の新兵教育の中で発生していた、下士官・古参兵による、内務班内の新兵イジメとその果てに起こる兵営内での自殺を、昨今のイジメによる自殺報道を見聞きするうちに、私は、思い起こさずにはいられない。
 手元に、統計的データを持たないので、数量的に論じることは、現状では出来ない、のだが、帝国陸軍に関する回想の多くに、その事実が見出されることは確かなことである。多くの記述が、自殺に至るいじめの存在を「例外的な事件」として描くのではなく、むしろ旧軍内での構造的な症例とでも言うべき文脈で取り上げていることには注目しておく必要があるように思う。

 まず、自殺に至るイジメが、近現代日本史を通して、現在のみの特有な現象として存在しているのではない、ということをここで確認しておきたい。


 しかし、一方で、発生状況の違いも認識されなければならない。

 現在のイジメは、学校のクラス内における、同等のクラスメート同士の間に生じているものである。
 一方で、旧軍隊内のイジメは、軍隊という厳格な階級組織の中で、命令系統を前提に、上位に立つ下士官・古参兵によって実行されたものである。対象は最下位の新兵であった。
 その相違を混同してはならない。しかし、その際に、周囲の者の反応という視点を導入した際に、相似点も明らかとなる。
 自らもまた、イジメの対象とされる可能性を抜きに、目前のイジメに介入することは出来ないのである。そして、介入の帰結は、自らもイジメの対象となり、問題の解決には決して結びつくことがないという認識としてしか想像が出来ない、そのような状況として理解しておく必要があるということだ。

 もちろん、組織が生み出す旧軍内のイジメ、その組織の原理自体が生み出してしまう旧軍隊内のイジメと、現在のクラス内のイジメの相違点にも留意しなければならない。組織の原理ではなく、状況が生み出すイジメ、とりあえずそのようにまとめてみる。
 が、一方で、教育というシステムの現状と不可分なものとしての現在のイジメという視点も、そこに浮上してくるのである。

                続く

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2006/12/03 16:28 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/13100/user_id/316274

 

 

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