« 歴史についての「正しい理解」という問題 | トップページ | 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) »

2008年11月26日 (水)

歴史的70年代の記録と大日本帝國の記憶

 

 

  

 『赤軍 -PFLP 世界戦争宣言』を観て来てしまった。

 初見である。
 ある年代以上の人々には郷愁を誘う題名だろう。
 若松孝二×足立正生による1971年の作品だ。



赤軍 -PFLP 世界戦争宣言
アウトロー講座07’
5月24日 (木)
16:30~上映/18:00~対談
第1講義室1号館103

…というチラシ。武蔵野美術大学の学生からもらった。
 実はよくデザインされた、B4版3枚続きのチラシ。デザインが気に入って、壁に貼っている学生からワンセットもらってしまった。先週の話だ。時間的に参加は無理だろうと考えていた。


 今日、昼休み、講座関係者と思われる学生のパフォーマンスを目撃してしまう。
 シュプレヒコールを繰り返す一団。よく見ると、顔にはタオルでマスク、ヘルメットかぶった集団がいた。ジグザグデモをし、広場の中央辺りでリーダー格が演説。
 今時、ホンモノはいないだろう。そういえば、今日が講座の当日であることを思い出す。
 仕事に戻ろうと歩き出したところへ、別の学生(顔見知り)からパンフを渡される。「ちょっと時間的に無理だと思う」と伝え別れたのだが、ちらちらパンフの中身を読むと…、やっぱり時間は自分で作り出すべきもの、という気になる。


 で、4時半前には、講義室に座っていた(真ん中のいい席に)。



 赤軍とPFLPが合作で制作ということで、基本的にプロパガンダ映像である。実際、プロパガンダである旨は、繰り返し作品中で述べられている。
 16ミリで撮影された映像に字幕とナレーションがかぶる。
 そのナレーションと映像は、必ずしも連動しているわけではない。ナレーションは、映像の説明をするわけではなく、映像とナレーションが解説的機能を果たすことは、あまりない。
 内戦前のベイルートの街並み、パレスチナの難民キャンプの映像、AK47の組み立てシーン、赤軍集会の映像もあった。ナレーションは映像の説明ではなく、基本的に、スローガンや闘争のテーゼを語るものである。プロパガンダでありアジテーションである。
 ライラ・ハレドや重信房子のインタビュー映像も挟まれる。当時の左翼用語の組み合わせで成り立った言葉が延々と続く。

 とにかく、パレスチナの(当時の)現状も歴史的背景も何もわからない。PFLPや赤軍がどのような組織であるかについても説明的に語られることはない。
 現在の目で見ると、不思議なドキュメンタリーでありプロパガンダ映像である。

 しっかし、それが面白い(多分、大半の学生は退屈してただろう)。
 そこにあるのは歴史の解説ではなく、今や「歴史そのもの」となってしまった映像だったのだ。
 ナレーションやインタビューの中で語られる言葉は、ほとんど、現在の学生達には理解不能だろう。
 当時の左翼用語だけの世界だ。接続詞や助詞以外は、今ではナジミのない言葉だけである。
 武装闘争・人民・革命の主体…、書こうと思っても、今や私の語彙から消えている言葉ばかりだ(って、別にそんな言葉話してたわけではないが理解は出来ていたつもりではあった)。
 しかし、それが実に面白かった、理解出来なくなっているところが。

 何かに似ているのである。
 『國體の本義』(昭和12年文部省発行)の文章だ。
 もちろん、文体が同じわけではない。四角張って、立派に見えるが、無内容、地に足が付いていない言葉のオンパレードであるところが、実に、同じなのである。
 昭和10年代から敗戦まで、大日本帝國には、『國體の本義』用語の組み合わせで作られた文章が蔓延していた。
 その状況によく似ているのである。
 70年代の左翼用語も同様に、常套句の組み合わせでありながら、内容ある表現をしているように、当人には感じられていたはずだ。

 どちらも内実は空疎な表現であり、現実に太刀打ちすることが出来ずに消滅していった、ように私には感じられたのであった。


 70年代というものが、もう既に「歴史」として私たちの前にあったのである。
 それをまざまざと見せ付けられてしまった、という意味でも、私にはエキサイティングな経験であった。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/05/24 23:16 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/31850/user_id/316274

 

 

|

« 歴史についての「正しい理解」という問題 | トップページ | 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) »

ウヨク、サヨク、そしてリベラル」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

20世紀、そして21世紀」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25662508

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史的70年代の記録と大日本帝國の記憶:

« 歴史についての「正しい理解」という問題 | トップページ | 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) »