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2008年11月27日 (木)

バグダッドの夏と昭和20年の東京

 

 暑いのは苦手だ。

 夏は苦手な季節だ。



 幸い人間なので、つまり猫とは違って毛皮に覆われているわけではないので、比較すれば楽なのだろう、とは思う。
 しかし、それで涼しくなるというわけでもない。

 暑いことには変わりないのだ。



 昨日にご紹介した、内田百閒の日記を思い出す。

 パナマ帽に、日よけの蝙蝠傘だ。ダンディーな話だ。
 昭和19年の夏には、日よけの蝙蝠傘もパナマ帽も活躍していたはずなのである。
 まだ、東京にB29が飛んでくる前の話だ。

 そして、昭和20年8月の初め、麦酒にありついて喜ぶ百鬼園先生の姿。
 麦酒三本のもたらす喜び。暑い夏の話である。

 昨日も書いたが、10日もすれば「終戦」である。しかし、それを知るわけではない。日常と化した戦争があり、空襲まで日常化し、いつ果てるともわからない日々。

 その中で、空襲で焼いてしまったパナマ帽を惜しみ、麦酒に喜び、食料品の配給延期に先の暮らしを憂う。

 夏の暑いことは変わらないが、現在とはまったく異なる世界がそこにある。
 日常生活があることには変わりはないが、日常の内容が異なるのである。



 私が、戦中の様々な日記類に興味を覚えたのは、かなり前のことだった。
 空襲下の東京で、会社に出勤するサラリーマンの姿を読んだ時には、驚いたものだった。
 よく考えれば、驚く方がおかしいのである。
 生産であれ、流通であれ、戦争下であっても必要なのだ。
 軍事はもちろんのこと、民生用にも様々な製品は生産され、流通を保障され、販売される必要があるのだ。
 サラリーマンは戦時下であれ、そして空襲下であっても、会社に出勤しないわけにはいかないのである。あまりに当たり前な話なのだが、そこまで想像力が及ばなかったのも正直なところだった。



 イラクの現状レポートを読むと、その日常が奪われている。
 病院から医者がいなくなっているという。出勤途中が危険であり、勤務自体も危険を免れない。
 サラリーマンも同様のようだ。
 戦争の危険ではなく、あの戦争がもたらした、イラク社会の破壊が原因だ。
 米軍は占領軍としての義務である治安維持に無関心だった(これは軍の問題というより、ラムズフェルド率いる国防総省の問題と言うべきではあるが)。テロリストが流入し宗派対立を煽った。
 結果として、市民の外出もままならない世界が、出現してしまったのだ。


 かつての日本に対する占領は、大日本帝國政府の行政機構を温存した中で行なわれたものだ。
 イラク政府は蒸発してしまった。大日本帝國は連合国に降伏したが、フセインのイラク政府は降伏文書に調印してはいない。
 その上での治安維持能力を欠いた占領統治があったのである。
 戦後日本の民主化の成功が、イラクの戦後モデルとして語られていたことを思い出すことが出来るだろうか?
 イラクの戦後統治は破綻し、民主化への道のりどころか、イラク国民としての統合の維持が出来るのかどうかも怪しくなって来ている。


 暑い中で、昭和20年の夏を思い、イラクの現在を考える。涼しい気持ちにはなれない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/05 20:53 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37373/user_id/316274

 

 

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