« 昭和二十年八月十日の御前会議と蚊遣線香 | トップページ | 昭和二十年八月十二日 「制限下」か「隷属下」か »

2008年11月27日 (木)

昭和二十年八月十一日 「何をか言はん」

 

 八月十一日(土)          晴 暑 五、二〇 一一、〇〇
 暁方相当な雨の音を聞いた。一寸で止んだらしい。しかし、御庭はどっぷりぬれている。入浴。今日から体操、駆足は六時十五分になった。今暁の雨の名残か雲が多く朝方は近日よりは大分涼しい。宮様方いつものやうに御学校に御出まし。疎開学園に宮様方の御為に防空壕をお掘りするとすればどこといふ場所検分の為御迎えの車で掛長と一緒に明賀屋へ行く。角倉前警衛局長も大夫も大体学校に不完全な壕を掘ってそれに頼るよりは、早く御用邸に御帰りを願ふべきだといふ意見で藤井掛長にも報告したのだが、掛長が満足しなので又念の為見に来た訳だ。順宮様のお帰りの御供をして帰る。午后裏の畑へ出て皆と一緒に大根の蒔つけをやる。大根はこれで終わる。どうも以前と違って塩原にゐてもちっとも楽しむことはない。さりとて東京に帰っても楽しいことがある訳でもなし、実際淋しい情けない事態になった。
  塩原第五日目

     入江相政 『入江相政日記』

 
 天皇の侍従が、疎開先で大根の種蒔きをしているのである。
 そういえば、8日の日記に「蚊はゐず蚊帳はいらずこんな難有いことはない」という記述がある。塩原では蚊に悩まされることはなかったらしい。

 

 

 八月十一日
 起きると新聞を見た。毎日、読売両紙とも、トップには皇太子殿下の写真を掲げ「皇太子さま御成人・畏し厳格の御日常」(毎日)「畏し皇太子殿下の御日常・撃剣益々御上達・輝く天稟の御麗質拝す」(読売)と見出しを掲ぐ。つぎに情報局総裁の談話。

 
として、高見順の日記では、冒頭に毎日新聞記事が載せられているのだが、談話部分のみ引用する。

 
  情報局総裁談(十日午後4時半)
 敵米英は最近頓に空襲を激化し一方本土上陸の作戦準備を進めつつあり、是に対し我陸海空の精鋭は之が邀撃の戦勢を整へ、今や全軍特攻の旺盛なる闘志を以って一挙驕敵を撃砕すべく満を持しつつある、この間に在って国民挙げてよく暴虐な敵の爆撃に堪へつつ義勇公に奉ずる精神を以って邁進しつつあることは誠に感激に堪へざるところであるが、敵米英は最近新たに発明せる新型爆弾を使用して人類史上嘗て見ざる残虐無道なる惨害を一般無辜の老幼婦女子に与へるに至った、昨九日には中立関係にありしソ聯が敵側の戦列に加はり一方的な宣言の後我に攻撃を加ふるに至ったのである我が軍固より直ちにこれを邀へて容易に敵の侵攻を許さざるも今や真に最悪の状態に立ち至ったことを認めざるを得ない、正しく国体を護持し民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため政府は固より最善の方法を為しつつあるが、一億国民に在りても国体の護持の為に凡ゆる困難を克服して行くことを期待する

 
その後に、阿南陸軍大臣の布告の引用がある。

 
  全軍将兵に告ぐ
 ソ聯遂に鋒を執って皇国に寇す
 名分如何に粉飾すと雖も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり 
 事ここに至る又何をか言はん、断乎神洲護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ
 仮令草を喰み土をり野に伏するとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず
 是即ち七生報国、「我れ一人生きてありせば」てふ楠公救国の精神なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜
 敵を撃滅せる闘魂なり
 全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし
    昭和二十年八月十日     陸軍大臣

 

「――何をか言はん」とは、全く何をか言わんやだ。国民の方で指導者側に言いたい言葉であって、指導者側でいうべき言葉ではないだろう。かかる状態になったのは、何も敵のせいのみではない。指導側の無為無策からもきているのだ。しかるにその自らの無能無策を棚に挙げて「何をか言はん」とは。嗚呼かかる軍部が国をこの破滅に陥れたのである。
 新聞記事だけでは、動きはさっぱりわからない。取引所の立会停止が小さく出ている。長崎の新爆弾が発表になったが、簡単な扱いだ。

 
というその日の大本営の『機密戦争日誌』には、

 

 省部内、騒然トシテ何等カノ方途ニ依リ、和平ヲ破摧セムトスル空気アリ。
之ガ為、或ハテロニ依リ、平沼、近衛、岡田、鈴木、迫水、米内、東郷等ヲ葬ラムトスル者アリ。又陸軍大臣ノ治安維持ノ為ノ兵力使用権ヲ利用シ、実質的クーデターヲ断行セムトスル案アリ。諸氏横議漸ク盛ナリ。

 
と書かれている。この期に及んで、和平ではなく本土決戦・徹底抗戦を求め、クーデターまでも視野に入れていたのが、昭和陸軍の最終末期の姿であった。

 「統帥権の独立」の名の下に、天皇の統帥を閑却し続けた軍隊の最終末期の姿である。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/11 22:59 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37862/user_id/316274

 

 

|

« 昭和二十年八月十日の御前会議と蚊遣線香 | トップページ | 昭和二十年八月十二日 「制限下」か「隷属下」か »

昭和二十年の記録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25689711

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和二十年八月十一日 「何をか言はん」:

« 昭和二十年八月十日の御前会議と蚊遣線香 | トップページ | 昭和二十年八月十二日 「制限下」か「隷属下」か »