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2008年11月27日 (木)

「しょうがない」のは誰か? 久間発言再説 前

 

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。当時、ソ連は参戦の準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本との戦争に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。長崎に落とすことによって、ここまでやったら日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。幸いに北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった。その当時の日本なら取られて何もする方法がない。長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。

   久間防衛相の発言要旨 「原爆投下しょうがない」    2007/06/30 13:55 「徳島新聞」

 
 この発言の何が問題だったのかを考えてみたい。
 誰がどこでどのように問題としたのかは、私にとっての問題ではない。あくまでも、私が何を問題とするか、それを書いてみたいということだ。

 8月7日の日記で、この発言を取り上げた時、私はかつての鈴木貫太郎首相の「ポツダム宣言黙殺」発言と並べておいた。
 つまり、政治家の発言としての適切さという文脈だった。

 ポツダム宣言黙殺発言は、後に、ソ連参戦の理由としても利用されてしまっている。
 つまり、その意味でも、鈴木首相の「ポツダム宣言黙殺」発言と久間防衛相(当時)の「しょうがない」発言は、同時に論じる価値があるだろう。

 
無条件降伏に関する本年七月二十六日の要求は、日本により拒否せられたり。よって極東戦争に対する日本政府のソ連に対する調停方の斡旋は、全くその基礎を失いたり。日本の降伏拒否にかんがみ、連合国はソ連政府に対し、同政府が日本の侵略に対する戦争に参加し、以って戦争の終了を促進し、犠牲者の数を減少し、かつ急速に一般的平和の恢復に質すべく提案せり。ソ連政府はその連合国に対する義務に従い、連合国の右提案を受諾し、本年七月二十六日の連合国宣言に参加せり。

 
 これが、ソ連の宣戦理由の文言である。黙殺=拒否として解釈され、ソ連参戦の正当化に利用されているわけだ。

 

 
 原子爆弾をいちはやく発明した国が勝利を占める。原子爆弾には絶対に抵抗できないからだ、そういう話はかねて聞いていた。その原子爆弾が遂に出現したというのだ。――衝撃は強烈だった。私はふーんと言ったきり、口がきけなかった。対日共同宣言に日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという。
「黙殺というのは全く手のない話で、黙殺するくらいなら、一国の首相ともあろうものが何も黙殺というようなことをわざわざいう必要はない。それこそほんとうに黙っていればいいのだ。まるで子供が政治をしているみたいだ。――実際、子供の喧嘩だな」
 と私は言った。

 

 高見順は8月7日の日記で、このように評している。しかも、広島への原爆投下をめぐっても「対日共同宣言に日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという」のである。

 原爆投下とソ連参戦の両方の理由付けに「ポツダム宣言黙殺」発言は利用されていたということだ。
 高見順の言う通りで、「黙殺するくらいなら、一国の首相ともあろうものが何も黙殺というようなことをわざわざいう必要はない。それこそほんとうに黙っていればいいのだ。まるで子供が政治をしているみたいだ。――実際、子供の喧嘩だな」と言うべき事態だろう。


 もちろん、鈴木貫太郎内閣の努力、鈴木首相自身の終戦への決意とその努力は認めるべきである。しかし、その上でなお、政治家の発言としては不適切であったと評さざるを得ない。


(字数制限のため、《「しょうがない」のは誰か? 久間発言再説 後 》に続けます)

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/25 22:08 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/38946/user_id/316274

 

 

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