« 東京大空襲・戦災資料センター 鈴木賢士写真展「東京大空襲の生き証人」 (続き) | トップページ | バグダッドの夏と昭和20年の東京 »

2008年11月26日 (水)

昭和二十年八月四日の日記

 

 八月になると、年寄りや子供の強制疎開の噂は、ますます大きくなった。もっと山奥へ逃げていく日のために、丈夫な鞋をつくっているひともあった。西久保さんでは主人と、中風のお祖父さんとお祖母さんが残って、子供とお母さんは、牛車で山奥へ逃げて行くと、話していらっしゃった。高木先生は、
「いよいよ危険になったら、お母さんと、ホオキ沢へ行らして下さい。」
 と、言って下さった。
「ホオキ沢までどうして行くのでしょうか。」
 と伺うと、
「馬車で行けるところまで行って、あとは歩いて行くのです。」
 と仰っしゃった。私は、ただ、
「どうぞ、よろしくおねがいいたします。」
 と、おねがいした。

     太田静子 『斜陽日記』
 

 
 『斜陽日記』の、昭和20年8月の記述の冒頭である。『斜陽日記』として発表されているものは、日記そのものではなく、本人による事後の要約なので、引用の記述からは何日のことであるかの特定は出来ない。
 が、その後に「広島の原子爆弾、ロシヤの参戦など…」という文章が続くので、それ以前の8月はじめの日々の雰囲気を伝えるものであろう。
 大雄山荘という知人から提供された山荘での疎開生活からの更なる「強制疎開の噂」であるところも注目点である。

 
 
 八月四日
 読売、毎日両紙とも、爆撃予告の敵のビラに驚くなという記事を出している。当局からの指示によるのであろう。
 夕方店へ。久米、川端両氏に会う。久米さんは運輸省依頼の巡回講演から前日帰ったところ。

     高見順 『敗戦日記』

 
 8月4日の記述はこれだけ。
 翌5日の日記に、
 
 海軍省、司法省の赤煉瓦の建物はあったが、それらは今焼け落ちてしまった。――小型電車はその頃のと同じだったが、車の破損のひどさ、車内の乗客の、半分はまるで乞食のような風態のひどさ、――感慨無量というような生易しいものではない。これらのひどさは、もっともっと増すのであろう。昇るのはむずかしいが、落ちるのは早い。これは日本の文化についてもいえるだろう。一度落ちたら、その向上はなかなか困難だ。しかも戦いに負けたら……。胸に来るのは、いつものことながら、暗い想いだ。私ひとりは、精神的に大変元気だが、ひとりの力など空しいものである。

 
という記述がある。

 
 
 
 八月四日土曜日二十六夜。朝ぐもり、後晴。昨夜は一度も警報を聞かず朝まで続けて寝る事が出来た。一昨夜も然り。大騒ぎの後は敵も矢張り息抜きすると見えたり。今日も暑し。午まえに三十一度なり。しかし風ありて心地よき夏日和なり。焼けた後ですぐ思ったのは近年になって丸善から買ったパナマ帽と何年か前に同じく丸善から買った日よけの青い蝙蝠傘とを郵船の帽子掛けに持っていって掛けておけばよかったと云う事である。

     内田百閒 『東京焼盡』

 

 暑くなって、日よけの日傘と、パナマ帽を空襲で焼いてしまったことを惜しんでいるのである。
 この先に、

 今日は配給の麦酒三本あり。冷蔵庫や氷は叶わぬ事なれども汲み立ての井戸水に冷やして三本続け様に飲み大いにやれたり。それはよけれど半月に及ぶ穀断ちの後漸く今日の配給日まで漕ぎつけたと思ったら午後家内が近所の人人と請取りに行って見ると配給所にお米が無いとかにて六日に延びた由なり。先日来既にお米を食べる食べないの問題ではなく、代りの粉も中川さんから二度目に貰った澱粉粉も大豆さえも無くなっているところだから配給の日取りの狂うのは由由敷大事也。この二日を如何に過ごすか家内苦慮中なり。
 

という記述がある。麦酒にありついて、若干のご機嫌ではあるけれど、食べるものがないのである。


 8月15日には「終戦」となるのだが、それは現代から振り返っての話。
 まだまだいつまで戦争が続くのか、見通しがない中での三人の日記なのである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/08/04 23:17 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/37308/user_id/316274

 

 

|

« 東京大空襲・戦災資料センター 鈴木賢士写真展「東京大空襲の生き証人」 (続き) | トップページ | バグダッドの夏と昭和20年の東京 »

昭和二十年の記録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25664278

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和二十年八月四日の日記:

« 東京大空襲・戦災資料センター 鈴木賢士写真展「東京大空襲の生き証人」 (続き) | トップページ | バグダッドの夏と昭和20年の東京 »