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2008年11月25日 (火)

現代史のトラウマ、なんて題を使用してしまうぞ今日はフツー日記 その2

 

 あの20世紀半ばの戦争が残した、「武力行使」という事態に関する評価のあり方の違いを、私たちは肝に銘じておく必要があります。憲法9条の普遍性を歌い上げるのは簡単ではありますが、この間の事情を理解しない限り、その主張は普遍性ある説得力を持ちえるものとはなりえません。
 憲法9条をめぐる議論に、このような視点が欠落しているように見えることは、残念なことであると私は考えています。

 さて、イラク戦争ですが、何よりも特徴的なのは、あれは軍人の戦争ではなかった、ということです。あれは、ラムズフェルドの戦争でした。シヴィリアンであるラムズフェルド国防長官が主導した戦争であったということです。開戦に反対していた当時の統合参謀本部長を替えてまでして、文民であるラムズフェルドが推し進めた戦争であった、ということなのです。そして戦争のプロである軍人の異議を排除し進めた結果が、現在のイラクの悲惨、そして出口を見出せずにイラク駐留を続けざるを得ない米軍の状況、となってしまっているわけです。

 我々日本人が大東亜戦争の教訓として連想するのは、軍人が戦争のプロと呼ぶに値しなかった、20世紀半ばの自国の歴史。戦争のプロですらない軍人が、政治・外交まで担っていた、あの20世紀半ばの歴史です。
 しかし、今回のイラク戦争の教訓、わが国にとって、その国民にとっての教訓は、文民自体の信頼性をも問わなければならない、ということです。自衛隊を自衛軍とし、それが文民統制の下にあることが担保となったつもりでいては甘い、ということです。
 ここでの文民とは、複数政党制が保障された下での自由選挙によって選出された政党政治家の多数派によって成立した内閣の閣僚、ということになります。すなわち、そこには国民の多数派の意思が反映されているということになります。
 つまるところ、問われているのは、多数派国民の理性的選択の可能性である、ということになります。
 その可能性を信じられる者、この者こそ幸せ者、というのが結論でしょうか。

 私は不幸せ者、と言うよりありませんが。



 さあ、どうだ、フツーの日記だっただろうが。いぢわるなんかどこにもないぞ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2006/10/07 23:15 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/2256/user_id/316274

 

 

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