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2008年11月26日 (水)

トラウマを書くウマシカな私

 

 もうそろそろ半年が過ぎることになる。

 毎日毎日、わけのわからない日記を書き続けて、6ヶ月が過ぎようとしているわけだ。

 一回2000字近く。400字詰め原稿用紙5枚分。
 まぁ、最初の頃は字数制限もよくわからず、4枚くらいだったかも知れない。
 今、数えたら、194タイトルあるようだ。
 つまり、少なくとも原稿用紙900枚以上になる。
 驚いた話だ。

 以前にも書いたが、この20年以上、いつか小説を書きたい、そう繰り返している友人がいる。
 その友人のためにコミュニティを作り、解散した。まぁ、それはいいのだが、その友人に、毎日書き続ければ、長編小説だって書けるぜ、ということを見せ付けてやろうという気もあっての、毎日の2000字である。
 まぁ、面白がってやっているので、ウラミツラミはない。

 書いてみて、自分がこんなことを考えるのかと驚く時も多い。知っていることを書く、知識を公開するということには興味がなく、その時々のテーマに対して自分が何を考えられるかを書いてきたつもりだ。それだからこそ続いたのだと思う。

 確かに読み返してみれば、やはり、この私の考えそうなことではある。しかし、ここで書き始めなければ、一生そんなことは考えずに終わってしまったであろうことを考えている自分に出会えるというのは、実に、面白いことだ。
 20年間、小説を書かずにいてくれた友人には感謝すべきだろう。



 先週の「神の姿シリーズ」は、「貴方のために、貴方を管理しますと言われた時のための、神の姿日記」というタイトルの文章で終わっている。
 それと、バインダー設定「現代史のトラウマ」シリーズでの私の基本姿勢には共通の感覚が流れているように思う。

 人間にとっての自由の問題だ。

 書いてみて思い出したのだが、私の10代から20代にかけての思考テーマとなっていたのが、その「自由」という問題だった。
 自分自身が自分自身を評価する時に、「今、私は自由であると思えるかどうか」が私にとっての自己評価の基軸となっていることの自覚、基軸としていくことへの自覚が、当時の(今よりは若き日の)私を形作っていったように思う。

 自分自身が自由に生きているという実感は、どのように得ることが出来るのか、そんなことを考えていたのだろう。実際、時が経ってみれば、そんなことを日常生活の中で考えるようなことはもうない。
 しかし、その頃考えていたことがあればこそ、現在は問題を自覚することなくとも、自由の問題はその都度の私の態度決定の底を支えているように思う。

 あの「現代史のトラウマ」シリーズでは、いわゆる左翼・右翼という分類には収まらないような私自身の政治的位置が表明されていると考えている。
 判断の基準は、人間にとっての自由の問題だ。
 人間は自由に生きるべきだ、とは私は言わない。それは、それぞれが判断すればよいことであって、自由に生きない自由も人間にはあると考える「べきだ」と考えるのが私である。
 しかし、私は自由でありたいと思う。自由でありたいと思う人間のための場所を確保しておくための努力はしておきたいと思うのである。

 他人の自由を制限するための努力には同意出来ない。いかなる口実であれ、人間は自由であることを尊重されるべきだと思う。ここでは不自由を選ぶことも可能であるはずだ。しかし、それは自らの選択の問題としてであって、強制であってはならない。それが私の考えである。


 2人の人間がいれば、そこに支配ー被支配の権力関係が生じる。3人の人間がいれば、敵ー味方の政治的関係が発生する。リアリズムとして、そのことを事実と承認する。
しかし、そこで、人が人を踏みつけにする関係の発生に自覚的になり、その関係の最小化への努力をしていくこと、それを課題としなければならないと思う。

 そんな考え方が、これまでの、そしてこれからの日記の基底に流れ続けることだろう。

 この「自由」をめぐる問題。また機会があったら書いてみたいと思う。



 今日は、ウマシカな私の現在を書いてみた。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/03/18 22:17 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/25438/user_id/316274

 

 

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