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2008年11月26日 (水)

憲法を魂として生きる…?

 

 

 

 「戦前・戦後を生きた平凡な女性の、非凡なる軌跡 ― 憲法を魂として生きる ― 」とタイトルされた集まりに出席して来た。
 他人の話を聞くということが、これだけエキサイティングなことだったのか、そんな時間を過ごした。

 橋爪志津乃さんという方が、『生きていく意味』(文芸社刊)というタイトルの本を出版されたことにちなんでの集まりである。
 編集に当たったのが知人だったので、誘われて出かけたわけだ。

 橋爪さんは、大正7年生まれの女性である。
 教師として国民学校で教えた世代だ。大日本帝國憲法と教育勅語の下に教育があった時代である。教育が国家の強力な統制下にある中で、大東亜戦争完遂(支那事変完遂がスタートである)のための小国民教育を現場で担った一人が、橋爪さんだったわけだ。

 昭和20年8月15日を、国民学校教師として体験し、戦後教育のスタートにも立ち会うことになる。その過程で、いわゆる墨塗り教科書の登場の当事者となる。
 これまで真実として教えてきたことが、墨を塗られ隠蔽される。しかし、そのような教育を推進してきた者、執筆者、文部省自体の謝罪も反省もなかった。
 古い真実は隠蔽され、新しい真実が登場する。責任を取る者がいない。
 そのような事態の中で、教師としての自分自身のけじめをつけるために、教職から身を離した。彼女はそのような形で、敗戦後に真実性を否定され墨を塗られるようなことを教壇から生徒へ説いてきたことへの責任を取ったのである。


 教師となるまでの人生や、戦後のことも、実に面白かったのだが、ここでの紹介は敗戦前後の問題に絞る。


 彼女は、戦後にあらためて大学生として生活をするのだが、そこで「皇国の道は学問でも何でもなかった」という実感を持ったという。そのようなものを教壇の上から「教育」していた自身の責任を彼女は問うのである。
 単なる「皇国の道」ではなく、それは戦争遂行を目標とした教育であった。教え子は、他国へ出かけて人を殺し、殺されたわけだ。
 その責任を自らに問い、教員としての職を辞したのである。誰かのせいにするわけではなく、自分の責任として考え、それを実行したのであった。

 さて、あの戦争において、誰が責任を負うべきかという問題がある。
 政治システムと軍事システムの頂点にいた存在としての、昭和天皇の責任に、彼女は言及する。命令システムの頂点にいた存在としての責任ということである。

 誤解のないように言っておくが、「天皇の戦争責任」という言葉で語られることの内容は限定的ではない。それを語る者によって、問題の立てられ方は異なる。
 戦争を主体的に遂行した者と昭和天皇を断定してしての責任の問い方もあれば、別の側面を問題とするものもある。戦争を主体的に遂行したかどうかは別にして、戦争遂行システムの頂点の存在として、あらゆる命令の権威の源泉となった者としての責任の存在という問題の立て方である。
 彼女が問題とするのは後者の側面である。

 これは彼女自身の生き方と関わって来るだろう。つまり、末端の一教師でありながらも、国民学校教育の一翼を担った者として、自ら職を辞するという途を、自らの責任の取り方として選択した人間としての考え方である。
 自らが負う責任の表明をしていないという一点において、彼女は、昭和天皇に問いを発するのである。

 彼女の話を聞いていて、爽快感が常に付きまとうのは、そのような彼女の生き方が背景にあるからであろう。
 彼女は、自分を被害者として、昭和天皇にいちゃもんをつけているわけではない。
 不適切な教育を施してしまったことへの自らの責任を自覚し、職を辞した者として、昭和天皇自身の責任を問い、その責任の果たし方に疑問を投げかけているのである。

 ここにあるのは、彼女自身の個人としての責任であり、天皇自身の個人としての責任という問題なのである。
 個人としての責任を、常に自分のものとして考え、生きてきた人間としての問いかけなのであるという点に、私は注目するのだ。
 それは、天皇が個人としての責任を問われうる存在で、法的に、あったかどうかとはまったく別の問題だ。


 彼女にとっては、現在に至る戦後の道徳崩壊現象のスタート地点に、個人としての責任を自らに問うことのなかった(あるいは、それを行動として表現することのなかった)昭和天皇の存在がある、ということなのであった。


  (本当はもっともっと書きたいことがあるエキサイティングな会だったのだが、本日はここまででご勘弁を)

 

 

 

(オリジナルは、2007/05/19 22:04 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/31440/user_id/316274

 

 

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