« 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) | トップページ | 健康という名のテロリズム »

2008年11月26日 (水)

続・政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ38)

 

 さて、「政治と宗教」について語りだしてしまっていた。


 パレスチナの現状を語る上で、それを宗教対立の問題として考えてしまうことの的外れであることを、まずは書いたはずだ。

 それは政治的な問題である、と。


 しかし、私の「政治的な問題」という表現には、二重の意味が込められている。

 職能としての政治家の関与する政治の世界があり、職能としての宗教家の関与する宗教的世界がある。
 そこには政治的世界と宗教的世界という二つの世界があり、所属する人間集団にそれぞれ別の形で影響力を行使しているのだ、という理解の仕方である。
 パレスチナ問題を語る上で、これまで前提としてきたのは、基本的にはそのような「政治と宗教」をめぐる理解の仕方であった。



 人間存在、社会的存在としての人間は、不可避的に「政治的」ならざるをえない。
 そのような人間理解の仕方を前提として、問題を考えることも出来るし、私は、考えておくべきであると思っている。

 これまでにも何度か書いてはきたことであるが、一個体のヒトが社会を作ることはない。
 社会的関係とは、複数のヒト個体の存在を前提として起きる出来事である。

 さて、ヒトが二個体、というより二人の人間がいれば、そこには強弱の関係が発生し、支配と被支配の関係が生まれてしまう。
 まず、対等な関係は形成されず、どちらかが事態を主導し、残りがそれに従属的になるのが一般的構図である。
 相互関係の承認は、平和的に行なわれることもあれば、暴力的過程を経る場合もある。
 いずれにせよ、そこに権力関係が発生するのである。

 私はそのような事態を肯定しているわけではない。しかし、リアルな人間理解として、その現実を承認しておく必要は感じるのだ。そのような事態の存在を前提にするからこそ、私は、そのような関係の固定化や支配関係の強化を目指すのではなく、支配-従属関係からの自由度の高い社会システムの形成を主張するわけである。
 それは、システムとして固定化されてはならないという主張も、そのような関係は人間の社会的関係そのものから不断に発生するものであるという認識が支えるわけだ。権力関係を発生させることのない社会システムは存在しえないだろうというのが、私にとって、リアルな認識である。


 さて、三人の人間が存在すれば、そこに「政治的」関係が発生する。
 一人にとって、他の二人は、自分の友であるか敵となる。つまり、そこに党派が発生するのである。

 「友と敵」という形で、政治的関係を定式化したのがカール・シュミットである。
 つまり、どのような社会的関係であれ、それが「友か敵か」という言葉で語りうるような関係であれば、それを「政治的」関係として定義するわけだ。

 つまり、ここでの「政治的」関係というのは、職能としての政治家に独占されているような社会的関係ではなく、社会的存在としての人間が、その社会生活の様々な局面で、所属集団内の他者との関係で持たざるをえない社会的関係なのである。
 あるいは、集団間の関係でもあるが、そこにある「友か敵か」という原理は同一である。


 「宗教的対立」について考えてみよう。

 ここでは、教義論上の対立を想定してみよう。経典の解釈をめぐる対立である。
 ある解釈を奉じる集団と、別の解釈を採る集団との対立という構図である。
 教義上の「理論的な」対立では、確かにあるだろう。
 しかし、そこには純粋な理論上の問題のみが存在するのではない。理論的対立は、既に党派性を帯びて、議論の応酬による適切性の問題からは離れ始めてしまうのである。 理論の問題であったものが、もう理論的には解決出来ない事態に至るのである。
 しかも、同じ党派内部でも主導権をめぐる闘争が発生する。これは、宗教の内部に政治が介入するのではなく、人間は社会的存在として「政治的」ならざるをえないという、人間の条件から発生する事態なのだ。

 宗教間対立であれ、事態は同様である。

 求められるのは、宗教的空間が、同時にそのまま政治的空間として存在しているということへの想像力なのである。


 政治と宗教は、人間生活の上では、まったく別の問題であるという側面も確かにある。職能として考える限りそれは正しい。
 しかし、人間の条件としての政治性という問題は、まったく別の、人間としての根源的な事態なのである。

 宗教が、人間にとっての根源的事態であるという側面は、また別に論じられなければならない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/05/27 00:05 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/31993/user_id/316274

 

 

|

« 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) | トップページ | 健康という名のテロリズム »

マイノリティーとマジョリティーの間」カテゴリの記事

20世紀、そして21世紀」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/25663719

この記事へのトラックバック一覧です: 続・政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ38):

« 政治的対立と宗教的対立、その背後にある出来事(現代史のトラウマ37) | トップページ | 健康という名のテロリズム »