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2008年11月25日 (火)

ネコとフニャフニャしたお陰で現代史のトラウマにかわり小さな希望が書けたような日記

 

 今日で、freeml 参入47日。日記も47日目となる。

 土日と祝日は、あの「いぢわる日記」(いつの間にやらそう呼ばれるようになってしまっていた)シリーズはお休みにして、「現代史のトラウマ」と題するものを書くか、どうでもいいようなことを書く日とするか、となってからも数週間が過ぎたことになる。

 この3連休も最後の1日、今日くらいはトラウマシリーズと行きたいところだったのだが、もう一つ力がみなぎってこない。

 このところ、忙しい日々が続き(ただし当人比)、その後の一段落フニャフニャの日々も含めて、ニュースに接していなかったのが、その要因のような気もする。
 自分のこと(仕事含む)で忙しかったり、ネコに腕枕してフニャフニャした日を送っていれば、世の中に腹を立てることもなく、その意味では平穏な日々が送れますよ、ということなのだろうか。

 トラウマシリーズの原動力は、腹立ち、怒りだったということですかね。個人的なこと(私的なこと及び仕事上のこと)ではなく、世の中に対する怒り、世界に対する怒り、腹立ち、ということ。
 まっとうに怒ること、を追い求めて来た、のであると自分では思っております。つまり、誰かのせいにするのではなく、自らの問題として事に当たるということ。

 マジョリティーの問題を取り上げてきているのも、自らをマイノリティーの側に位置づけながらも、しかし実際には自分がマジョリティーの側の人間として見られなければならない一人でもあることを自覚すればこそのことでもある。「マイノリティーとマジョリティーの間」(10月22日)でそのことを書いた。
 誰かのせいにはしないこと。自分が常に正しいのではないことをすべての前提とすること。そして、たとえ自分が被害者の側にいようとも、実際に自らが被害者であったとしても、自分の側に正義があるとは思わないこと。
 加害者は、自分に対して不当なことをした(ので加害者と呼ぶ)のは確かなことであるにしても(もっとも、この事実関係さえ検証されていないことも多いが)、自分の側に正義があるのではないのである。正義があるとすれば、被害者・加害者間の不均衡状態、その是正作用・回復作用としてのみ考えなくてはならないと思う。そこを見誤ると、被害者-加害者関係の逆転を正義の実現としてしまうことになる。現実に生ずるのは、被害者が正義の名の下に加害者に転ずるという事態である。実にありふれた事態である。
 ありふれているからと言って、それでよしとするわけにはいかない。人間とはそのような事態をありふれたものとしてしまうものであるということに自覚的になること。そして自らはそのような事態の再現からは距離をとること。これは、このことだけは、自分で出来ること。自分ひとりでも出来ることなのである。そして、それが、この自分に出来ることであるとするならば、他の多くの人にも可能なことという線で想像力を働かせること。あるいは、他の誰かに出来たのなら、自分に出来ないという理由を見つけることに努力するよりは、その誰かに力を貸すことをこそ考えること。

 …と、ネコとフニャフニャした日々を送ったお陰で、怒り・腹立ちではなく、少しは希望の影のある日記が書けた、ような気がする。

 読み返してみて、
 果林さんの日記:13歳犠牲少女「私を先に撃ってください」
          :「汝の敵を愛せ」る?13歳犠牲少女の世界観とは
        を念頭に置きながら書いた部分がありそうです。そちらもお読みになっていただければと思います。 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2006/11/05 21:43 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/8248/user_id/316274

 

 

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