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2008年11月26日 (水)

続・文部科学大臣の知性という問題 (現代史のトラウマ 27)

 

 文部科学大臣の知性がはらむ問題を考えてきた。

 国家と国民の関係をめぐる、安倍政権のスタンスの問題でもある。

 大きな国家へのノスタルジーと、小さな国家の実現の必要という現実の間で、スタンスが定まっていない印象を受ける。
 大きな国家といっても、社会民主主義的福祉国家ではなく、大日本帝國へのノスタルジーなので、問題は、余計に複雑である。

 前政権以来、「自己責任」をキーワードに、国家による福祉政策の縮小が目指されて来ている。
 一方で、教育基本法「改正」や「教育再生会議」の議論には、教育行政に対する国家関与の増大の意図が見える。予算措置抜きの、法による縛りだけが増えていくのが現状であろう。

 「自己責任」の根幹には、自立した個人の存在が求められる。
 教育行政の方向は、自立した個人の育成ではなく、国家に依存した個人の育成にあるようにしか見えない。

 両立可能であろうか?

 小さい政府を可能にするのは、国家に対する国民の依存度の縮小である。
 国民の国家への依存度の縮小を支えるのは、国民の精神であり、それを形成するのは教育である。

 教育システムの未来像を構想するにあたって、国家への依存度の高い人間育成を目指しながら、国民の国家への依存度の縮小を目指すことが、果たして、可能なのだろうか。

 安倍政権のヴィジョンの支離滅裂さが、まさに、ここにありはしないか。
 このような構想に疑問を持たずにいられる人間の知性は、疑われてしかるべきであろう。


 ここに「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」という伊吹文科相の発言を重ねてみよう。何が見えてくるか。

 国民への福祉政策の提供を国家の義務からはずそうという方向がまずある。
 国家による福祉政策は、本来的に、人権の充実を目指すものである。
 つまり、国家による福祉政策の縮小の意味するところは、人権への国家の顧慮の縮小なのである。
 そのような政策を推進する途上の内閣の大臣の発言として、問題の伊吹文科相の発言を読み返せば、その含意は明確となる。
 人権のやせ細った国家を目指す者にとっては、人権をめぐる当然の主張も、「食べ過ぎ」に見えてしまうことは、当然のこととして理解出来るのである。

 そのような意味では、大臣の知性は、福祉削減という安倍内閣の方向性とは整合性を保っていると言えるかも知れない。
 しかし、世界史などの未履修問題を監督する官庁のトップとしては、その世界史理解はお粗末と言うよりない。


 世界史だけではない。
 「イラクを例に出し」、日本を「宗教的に自由かっ達な国民が作っている」という発言。
 イラクの現状をもたらした経緯への無理解がそこにある。国際感覚の欠如と言うべきか。世界史と共に地理のお勉強も必要に見える。
 同時に、一向一揆や、比叡山焼き討ち、キリシタン弾圧、島原の乱、明治になってからの廃仏毀釈にキリスト教弾圧、昭和になってからの大本教への大弾圧。そんな、日本史の常識も大臣には思い出して欲しい。

 それに、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実」とおっしゃいますが、それは確かに、大和民族=日本列島の住民と定義すれば、ということに過ぎない。これは、共産主義国家は労働者の代表により統治されているのでそこに労働問題は存在しない、と主張する共産主義者のレトリックと同型のものである。
 現実には、民族の同質性と異質性には客観的な基準は存在しないのであり、関東人と関西人を、その言語・習慣において異民族と主張することも可能なのである(ヨーロッパの現実を見よ)。民族意識は、同質性の中から異質性を発見すること(異質性の中に同質性を見つけるという方向もある)で見出されることもあることを忘れてはならない。
 伊吹文科大臣の発言は、民族をめぐる問題に対する人類学的、歴史学的蓄積への無理解をも示していることは確かだ。

 大臣、もう少し知性を、そう思わずにはいられない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/02/28 15:45 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/23590/user_id/316274

 

 

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