2017年2月10日 (金)

アメリカ人を雇え(トランプと雇用、あるいはワシントンの末裔)

 

 

  ドナルド・トランプ米大統領の上級顧問、ケリーアン・コンウェイ氏は9日、ホワイトハウス記者室から米フォックス・テレビに出演し、トランプ氏の娘イバンカさんのファッションブランドを「買って」と発言を繰り返した。ホワイトハウス職員が民間企業や製品を推奨することを禁じる、連邦倫理規定違反だと批判されている。
  コンウェイ氏は「お店に行ってイバンカのものを買って」、「自分もきょう、買いにくつもり。ここで無料コマーシャルをしますね。みんな、きょう買いに行って」と視聴者に呼びかけた。
     (BBC News 2017/02/10 15:12)

 

 

 ご存じの通り、そもそもの発端は大統領自身で、その間の事情は「イバンカさんの名前を掲げるファッション・ブランドについては、高級百貨店ノードストロムが今月初めに売り上げ低迷を理由に販売中止を発表。それを受けてトランプ大統領自ら、同社を自分のツイッター・アカウントで批判し、大統領公式アカウントがこれをリツイートした」と報じられている。それに加えての今回の「上級顧問」の言動で、あらためて「連邦政府の倫理規定は、ホワイトハウス職員が「いかなる商品、サービス、事業活動の推奨」もしてはならないと定めている」原則的問題と「トランプ政権において、ホワイトハウス関係者が営利活動と関与し利益相反状態に陥る可能性」があることが生み出すであろう倫理的問題が指摘され、その点について既に下院監査政府改革委員会のジェイソン・チェイフェッツ委員長(共和党!)からも批判されていることが報じられている。

 

 で、現政権の突出した公私混同ぶり、倫理観の欠落があらためて明らかになってるわけだが、当人達(大統領本人及び取り巻きの人々)には問題の所在すら理解されていないようである。

 

 

 

 …という問題はさておいて、「イバンカさんの名前を掲げるファッション・ブランド」をめぐるネット上の画像検索から見えてきた話題である。

 

 

 

Do you see it now?
  
http://images.gawker.com/gcqiun8jsyr7ptgwrjq9/c_scale,fl_progressive,q_80,w_800.jpg

 

 

 「イバンカ(イヴァンカ)・トランプ」ブランドの入った段ボール箱が積み上げられている画像だが、そこには「Made in China」と明記されているのだ。

 

ivanka trump made in china
  
https://2.bp.blogspot.com/-MjzP88mM48M/VuN1Eke27OI/AAAAAAAAMIQ/Upxb9BFzeVkwuqq2rvCL_e2ayp9WtjVig/s1600/ivankatrump_dress_china_rossdressforless.jpg

 

 

 製品のタグにも「made in china」の文字が。

 

 

 

 

 大統領となったドナルド・トランプが就任演説で強調したことの一つが「雇用」の問題であった(以下に雇用に関連した部分を抜き書きしておく)。

 

 

  For many decades, we’ve enriched foreign industry at the expense of American industry;
  何十年もの間、我々アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきた。

  One by one, the factories shuttered and left our shores, with not even a thought about the millions upon millions of American workers left behind.
  一つ一つ、工場は閉ざされ、我々の国から遠ざかっていった。何万のアメリカ労働者が取り残されたことなど、見向きもされない

  But that is the past.
  しかし、それは過去のものになった。
  And now we are looking only to the future.
  今、我々は未来だけを見つめるのだ。

  From this day forward, a new vision will govern our land.
  この日を境にして、わが国は新しいビジョンで治められることになる。
  From this moment on, it’s going to be America First. America First.
  まさにこの瞬間からだ。それは、アメリカファースト。アメリカファースト。
  Every decision on trade, on taxes, on immigration, on foreign affairs, will be made to benefit American workers and American families.
  全ての決定は、貿易、税金、移民、外交に関しても、アメリカの家族、労働者にとって有利なものでなければいけない。
  We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs.
  他国の犯罪者から私たちの国境を護らなければならない。我々の生産物をつくり、我々の企業と雇用を壊そうとする者から護らなければならない。

  We will bring back our jobs.
  我々は雇用を取り戻す。
  We will bring back our borders.
  国境を取り戻す。
  We will bring back our wealth.
  富を取り戻す。
  And we will bring back our dreams.
  そして我々の夢を取り戻す。

  We will get our people off of welfare and back to work  rebuilding our country with American hands and American labor.
  我が国の国民を豊かにし、雇用を取り戻す。我々の国をアメリカの労働とアメリカの手でつくり直すのだ。
  We will follow two simple rules: Buy American and Hire American.
  我々は二つの単純な原則に従う。「アメリカのものを買え。アメリカ人を雇え
     (
http://www.johoseiri.net/entry/2017/01/21/073326

 

 

 「イバンカ・ブランドの商品を買え」とアメリカの消費者に迫るのはトランプ大統領と「上級顧問」だが、しかし、そこには「made in china」と記されているのだ。

 

 

 

 今回、あらためて調べてみると、「ドナルド・J・トランプ」ブランドの衣料も存在するのだ。しかし…

 

 

our jobs are being taken away from us by china
  
http://undead-earth.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/2015_Trump_Idiot_1.jpg

 

 

 こちらも「MADE IN CHINA」なのである。「The best social program, by far, is a JOB!  Our jobs are being taken away from us by china」とツイートする当人のブランドが「MADE IN CHINA」なのだ。

 

 

A Donald Trump tie made in China.
  
https://pbs.twimg.com/media/CN8J_vvUAAA5iLV.jpg

 

 

 ネクタイだってこの通り、紛うことなき「Made in China」。

 確認してみても…

 

 

Trump Ties are Made in China or Listed As 'Imported'
  
https://heavyeditorial.files.wordpress.com/2016/09/trump-tie.jpg?quality=65&strip=all&strip=all

 

 

 間違いなく、アメリカ製ではなく、メイド・イン・チャイナ(中国製)なのだ。

 

 

 

 トランプのホテルの備品だって…

 

 

trump hotel classy gold lamp made in china
  
https://i1.wp.com/4fc.7d2.myftpupload.com/wp-content/uploads/2016/09/7.jpg

 

 

 由緒正しき「MADE IN CHINA」なのであった(われらがアパホテルは大丈夫か?)。

 

 

 

 

 もちろん、ちゃんと「MADE IN MEXICO」だってあるし…

 

 


DONALD J. TRUMP MADE IN MEXICO
  
http://i.imgur.com/IqoLuNZ.jpg

 

 

 「ドナルド・J・トランプ」ブランドのスーツは、なんと「国境」の向こうで製造されていたのだ(もちろんメキシコ人の手で)。「他国の犯罪者から私たちの国境を護らなければならない。我々の生産物をつくり、我々の企業と雇用を壊そうとする者から護らなければならない」と大統領就任演説でも主張していたトランプ自身が、自社製品を国境の向こう側、そして海の向こう側で製造させていたのである(大統領ドナルド・トランプは経営者ドナルド・トランプと闘うつもりか?)。

 

 

 

 

 これが「正直」の教科書的存在であったジョージ・ワシントンの末裔の姿なのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/02/10 17:20 → http://www.freeml.com/bl/316274/296314/

 

 

 

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2017年2月 5日 (日)

「偉大な指導者」としてのドナルド・トランプ・イメージ

 

 (驚いたことに)ドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任してしまったのは「代替的事実(alternative facts)」などではなく(あるいはハリウッド映画の中の話ではなく)、世界にとっての現実だということを受け入れなければならないわけだが、日曜の午後くらいは逃避的行動の時間としたい。

 画像検索をすると、ドナルド・トランプ大統領はネタの宝庫的存在として、既にその「偉大さ」を示していることがわかる。

 

 

 

 

putin holding trump baby
 
https://i2.wp.com/www.watchthecircus.com/wp-content/uploads/2016/12/putin-holding-trump-baby.jpg

 

 

 言うまでもなく、プーチンの手玉に取られるトランプのイメージである。

 

 

  1月初めに米国から来た人物は、「2013年にトランプがモスクワを訪れたとき、ホテルで不適切な動画を撮影され、ロシア政府が握っているという噂がワシントンで出回っている」と話していた。まもなく同旨の報道が米国で行われるようになり、それを裏付けるとされる文書が出回っていることが分かった。そしてその35ページの文書はネット上で全文暴露されてしまった。
  今週11日、当選後初めて、トランプ次期大統領は記者会見を開き、文書の内容を全面否定する。文書について報道したメディアには質問を許さず、報道しなかったメディアを賞賛するという露骨な差別待遇を行った。
     (ニューズウィーク日本版 2017/01/14 11:00)

 

 この土屋大洋氏の署名記事には、「ただし、これはまだ真偽が確かめられていない」との但し書きが付けられている。トランプ大統領がロシア情報機関に弱みを握られているという話が「事実」であるのか、それとも「代替的事実」(もちろん虚偽の別名だが)であるのかについては、現時点ではいずれとも判断し難いが、当人のキャラクターからすると「ありそうな話」を思われてしまうのも仕方がないだろう。

 

 

 

 で、こちらが画像の元ネタである。

 

 

Stalin loves the little children
 
http://userscontent2.emaze.com/images/3423ec78-209e-4297-929f-761d7c59bb5f/eb4111ba-30e1-4dce-a7d6-7cb19dd5dfe0.jpg

 

 

 かの偉大な書記長が幼児を抱きかかえるスターリニズムど真ん中時代のプロパガンダポスターである。

 

 

 ネット上には、強権的傾向を隠さないトランプ大統領をスターリンになぞらえる画像も多いが、トランプ氏の視覚イメージからすると、イタリアを再び偉大な国とした(MAKE ITALIA GREAT AGAIN !)ファシスト・イタリアの陽気で偉大な首領(ドゥーチェ)であったムッソリーニの方が、よりふさわしい気がしないでもない。

 

 

Trumpolini
 
https://4.bp.blogspot.com/-I-eUEEBc7GM/Vr6a8NvhSAI/AAAAAAAAjNI/A1cQ99QXkWU/s1600/Trump_Dux.jpg

 

 

 顔立ち、表情が似ているのだ。口をへの字に結んでアゴを突き出す尊大なポーズ。

 

 

 で、傑作なのがお次。

 

 

Donald Trump: American Mussolini
 
https://jeffwinbush.files.wordpress.com/2015/12/fascist.jpg

 
 

 「IL DOCE」は「首領」の称号だが、「ILL DOUCHE」はドナルド・トランプという人物の女性蔑視的姿勢(あるいは好色ジジイ・イメージ)と重なるネーミングである。日本語では「ビョーキの膣洗浄器」、だ。思わず人間膣洗浄器と化したドナルド・トランプ氏が「ホテルで不適切な動画を撮影され」たというストーリーを妄想させる。

 ちなみに、ムッソリーニの死が1945年で、トランプは翌年の1946年に生まれていることから、トランプ=ムッソリーニの「生まれ変わり説」もネット上のネタ化されているようである(いずれ、あの大川総裁による守護霊インタビューが公開されるかもしれない)。

 

 

 

 

 最後にこちら、シュピーゲル誌の表紙。「世界の終り」である。

 

 

das ende der welt
 
http://www.zerohedge.com/sites/default/files/images/user3303/imageroot/2016/11/09/20161111_trump1_0.jpg

 

 
 見た通り。説明するのも野暮というものだろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/02/05 15:16 → http://www.freeml.com/bl/316274/295726/

 

 

 

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2017年2月 3日 (金)

トランプのカード(マッカーシー vs トランプ)

 

 ドナルド・トランプとその取り巻きは「代替的事実(alternative facts)」というカードを切ることで、マッカーシーの時代に「多重虚偽」のために費やされに労力を軽減し、手続きを簡略化した。

 

  マッカーシーが国務省への攻撃を始めて間もない頃、私は『ニューヨーカー』誌の「ワシントン便り」の中で、マッカーシーを取り上げた際、そのもっとも注目すべき新手法の一つを「多重虚偽」と呼び、多くの点でヒトラーの大うそに比すべき技術だと書いた。私は次のように書いた。「「多重虚偽」は特に大きな虚偽である必要はなく、一連の相互に余り関係のない虚偽、あるいは多くの側面を持つ一個の虚偽であったりする。いずれの場合にも、全体が多くの部分で構成されているために、真実を明らかにしたいと思う人は虚偽の全要素を頭の中に入れて置くことが全く不可能ということになってしまう。真実を明らかにしようとしても、人はその中の二、三の言明を取り出して、それがうそだということを証明するかもしれないが、こういうやり方は、取り出された声明だけがうそであって、残りは本当なのだという印象を残すだろう。「多重虚偽」の更に大きな利点は、うそと証明された声明をその後も平然と何べんでもくり返しうるということである。というのは、どの声明が否定され、どれが否定されていないかを誰も覚えていないからである。」……
     R.H.ロービア 『マッカーシズム』 岩波文庫 1984 145~146頁

 

 ローピアはジョセフ・マッカーシー上院議員の用いた手法を「多重虚偽」と名付け、「真実を明らかにしようとしても、人はその中の二、三の言明を取り出して、それがうそだということを証明するかもしれないが、こういうやり方は、取り出された声明だけがうそであって、残りは本当なのだという印象を残すだろう」と問題を整理した(ちなみにドナルド・トランプは、上院でのマッカーシーの最大の協力者であったロイ・コーンの弁護士時代の顧客の一人であったと言われており、マッカーシーとトランプはコーンを通して結ばれていることになる―コーンは弁護士としての非倫理的行為を問われ最終的に法曹資格を剥奪された人物でもある―マッカーシーもコーンも知的誠実さとは無縁な人物であったが、この両者とのトランプの「縁」には、どこか納得させられるものを感じてしまう)。

 マッカーシーに対し「二、三の言明を取り出して、それがうそだということを証明する」ことは可能であるが、マッカーシーは新たな虚偽を一瞬のうちに生産するので、「二、三の言明を取り出して、それがうそだということを証明」しても簡単に無効化されてしまうのである。しかし、それはまだ虚偽の生産が手作業であった二十世紀の手法であって、ドナルド・トランプとその取り巻きは「それがうそだということを証明」されようが、新たな虚偽を思いつく手間をかけることもなく「代替的事実(alternative facts)」の一言で、ジャーナリストによって費やされた事実の検証・証明の努力を一瞬にして無意味なものにしてしまう(しかもどのように精緻な「証明」も「偽ニュース(fake news)」として一瞬で切り捨てられる)。もちろん、虚偽の大量生産についてのトランプとその取り巻きの能力がゲッベルスやマッカーシーに劣るというものではないが、ヒトラーやマッカーシーの時代には「代替的事実(alternative facts)」という無敵のカードの存在は知られていなかった、ということなのだ。

 

  ドナルド・トランプ米大統領の上級顧問を務めるケリーアン・コンウェイ氏は22日に米NBCテレビ「ミート・ザ・プレス」に出演した際、「代替的事実(alternative facts)」という表現を使った。この言葉は米政治が事実を重視しない「脱真実」の新時代にあることを象徴するとの見方もある。
  コンウェイ氏はホワイトハウスのショーン・スパイサー報道官による一連の誤った発言に関して番組内でコメント。報道官がトランプ氏の就任式に集まった人数について事実より多く話した点について、コンウェイ氏は番組司会者のチャック・トッド氏に「あなたはそれをうそだと言うが、われわれの報道官であるショーン・スパイサー氏は代替的事実を述べたにすぎない」と釈明。トッド氏はそれに対し、「代替的事実は事実ではない。誤っている事実だ」と応じた。
  コンウェイ氏は翌日、FOXニュースの番組にも出演。司会のショーン・ハニティ氏は、代替的事実とは単純に「異なる視点」を提供しているだけだと語り、より寛容な受け止め方を示した。だが、時すでに遅し。「代替的事実」はソーシャルメディア(SNS)上で瞬く間に広まり、ツイッターでは「おまわりさん、私は酔っていません。代替的にはしらふです#alternativefacts」といったハッシュタグがつく投稿も見られるなど、冷やかしも拡散している状況だ。
     (ウォール・ストリート・ジャーナル 2017/01/27 13:27)

 

 ドナルド・トランプ大統領の上級顧問を務めるケリーアン・コンウェイ氏の「代替的事実(alternative facts)」という用語法(註:1)に対し、NBCテレビ「ミート・ザ・プレス」番組司会者のチャック・トッド氏は「代替的事実は事実ではない。誤っている事実だ」と指摘したわけだが、(トランプ支持の「視点」に立つであろう)FOXニュースの番組司会者のショーン・ハニティ氏は「代替的事実」を「異なる視点」と位置付けることでコンウェイ氏の用語法の擁護・正当化を試みている(註:2)。しかし、「事実」は「事実」であって「虚偽」ではなく、「虚偽」は「虚偽」であって「事実」に対する「異なる視点」ではない。

 「報道官がトランプ氏の就任式に集まった人数について事実より多く話した」かどうかは「視点」の相異によって判断されるべき問題ではなく、実際に集まった人数=事実の検証によってのみ判断されるべき問題なのである。

 

 「代替的事実」なんてものを通用させてしまえば、

 

  事実を無視する「ポスト真実」、あるいは「オルタナファクト(別の真実)」は、根拠と客観性を重視する科学とは相容れないものだが、まさにこれらが科学者に襲いかかっているといえるだろう。
     榎木英介 (Yahoo!ニュース 個人 2017/01/31 12:00)

 

「科学」はその方法論的基盤を喪失するのである。ドナルド・トランプとその取り巻きの思考法が、女性(あるいは様々なマイノリティーの構成員)だけではなく、科学者にとっても大きな脅威と感じられつつあるのも当然のことであろう。

 

 

 マッカーシーは結局、蒔いた種が芽を出して年貢を納めることになるが、その間、米国の外交政策は大きく停滞することとなった。マッカーシーのターゲットとされたのが国務省だったからである。冷戦初期の米国外交は、マッカーシズムという大きな障害のために、理性的な判断から遠ざけられてしまったのだ。朝鮮戦争の最中にもかかわらず、マッカーシーの関心は、戦争の行方にではなく、国務省内にいるとマッカーシーの主張する共産主義者の排除にのみ向けられていた。マッカーシーは証拠(=事実)を握っていると主張していたが、その証拠(=事実)が提出されることはなかった。しかし、その間、国務省内の人間は、外交の行方を論じることよりは自分が共産主義者ではないことを証明することに没頭させられたのである。

 ヴェトナム戦争へと帰結する冷戦時の米国外交を考える上で、マッカーシズムによる損失の大きさを無視することは出来ない。まさに「多重虚偽」の恐ろしい帰結である。事実と虚偽の判別への努力から人々の関心が失われれば、別の言い方をすれば情報の正確さへの関心が失われれば、最終的に痛い目に遭うのは人々自身であり、個々の私なのである。大日本帝國の対米開戦の判断の背後には情報の軽視があり、ブッシュのイラク戦争を主導した国防総省もまた開戦の正当化に役立つ情報のみを採用し、不利な情報を積極的に無視した。

 

 

 現在、ドナルド・トランプとその取り巻きが示しているのは正確な情報(すなわち「事実」)への関心の無さである。

 実際に、

 

  ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は28日、スティーブ・バノン(Steve Bannon)首席戦略官・上級顧問(63)を、国家安全保障会議(NSC)の常任メンバーに加える大統領令に署名した。トランプ氏の最側近の一人として知られるバノン氏はこれにより、政策面でも一段と影響力を強めることになりそうだ。
  トランプ氏は大統領令の一つである「大統領指示書」で、NSCの閣僚級委員会について、バノン氏を常任に引き上げる一方、情報機関を統括する国家情報長官(DNI)と、米軍制服組トップの統合参謀本部議長(Joint Chiefs of Staff)を非常任に格下げした。
     (AFP=時事 2017/01/30 09:32)

 

大統領としてのトランプは、国家安全保障会議(NSC)の常任メンバーから専門家としての国家情報長官(DNI)と統合参謀本部議長(Joint Chiefs of Staff)を排除し、情報と軍事の(そもそもが「政治の」でもあるが)シロートであるバノン氏を重用することで、正確な情報取得への関心の低さを示したのである。

 

 今回の「入国禁止」の大統領令の顛末にも、トランプ政権の正確な情報、情報の正確さへの無関心が示されている(自動車産業をめぐる対日批判もその典型的な事例であろう)。

 

  スパイサー米大統領報道官は31日の記者会見で、トランプ大統領が27日に署名したイスラム圏7カ国の出身者を一時入国禁止にした大統領令について「これは入国禁止ではない。米国の安全を維持する(入国)審査の制度だ」と強弁した。
  スパイサー氏は「『禁止』は人々が入国できないことを意味する。(7カ国以外の)別の国から数十万人が入国しているのは明白だ」と強調。入国禁止の対象となったシリアやイランなど7カ国に関しても「オバマ前政権が入国者の必要な情報が得られない国と特定した」と主張した。
     (時事通信 2017/02/01 07:57)

 

 「入国禁止令」の正式名称は「テロリストの入国からアメリカ合衆国を守る大統領令(Protecting the Nation from Foreign Terrorist Entry into the United States)」だが、一般的には「Trump Bans Travel to U.S. for Citizens of 7 Muslim-Majority Nations」のように理解されている(「ban」は「禁止」を意味する語)。

 しかも、時事通信の記事の続きには、

 

  一方、トランプ大統領は30日、ツイッターに「入国禁止が(実施の)1週間前に告知されていたら、『悪者』がその間、急いで入国していた」と投稿。スパイサー報道官もCNNテレビのインタビューで、大統領令を「入国禁止」と何度も呼んでいた。

 

このように記されている。大統領も報道官も問題の大統領令を実際に「入国禁止」と呼んでいた、ということなのである。当人たちが「入国禁止」という文言を用いていた以上(そのような文言を用いて情報発信をしてしまった以上)、メディアが「入国禁止」として報道したことを非難することは出来ない相談であるし、人々が「入国禁止」の大統領令として理解してしまうことも非難しようがなくなる。で、どうしたかというと、

 

  イスラム圏7カ国からのアメリカ入国を一時的に禁止する大統領令について、トランプ大統領はこれまで「入国禁止令ではない」としていましたが、「好きなように呼べばいい」と改めて正当性を主張しました。
  トランプ大統領は、ツイッターに「大統領令が『入国禁止令』なのかどうかで騒いでいるが、好きなように呼べばいい。悪意を持った悪者を国に入れないためだ」と書き込みました。また、ホワイトハウスでの会合で「私はCNNは見ない、嘘のニュースを見るのは嫌いだ」と述べ、入国禁止を批判しているアメリカのメディアのなかから一部メディアの名前を挙げて非難しました。
     (テレビ朝日系(ANN) 2017/02/02 11:46)

 

 情報発信に際しての不用意さは無視した上で、「好きなように呼べばいい」と居直ったのである。

 

 そもそも「テロリストの入国からアメリカ合衆国を守る」(悪意を持った悪者を国に入れない)ための大統領令について言えば、対象とされた「イスラム圏7カ国」の出身者が米国内でテロを実行した実績はないという問題があり、対象国の選定の適切性からして疑問が持たれているものでもある(示されているのは事前の情報分析の不足である)。

 

  米ジャーナリストや学識関係者が参加するシンクタンク「ニュー・アメリカ財団」によると、イスラム聖戦主義攻撃に関与した、あるいはそうした攻撃の実行者として死亡したテロ犯の米国在住資格は次の通り――。

 ・全体の82%は米国籍か永住権を保有

 ・188人は米国生まれ

 ・83人は米国籍に帰化した市民

 ・43人は永住権を持つ市民

 ・13人は難民

 ・12人は在住資格不明

 ・11人は非移民ビザで入国

 ・8人は不法移民

 ・38人は不明

  近年の米国内で起きた重大な無差別大量殺人事件の犯人はいずれも、入国制限対象の7カ国の市民ではなかった。
     (BBC News 2017/02/01 16:30)

 

 「不法移民」及び「難民」が含まれることも確か(21人)ではあるにせよ、詳細に分析するまでもなく今回の「大統領令」があまり役に立つものとなりそうもないことも確かであろう。

 

 末端の行政の窓口対応の細則の作成という重要な問題を抜きにして、つまり実施に際して起るであろう問題のシミュレーション抜きに、性急に大統領令が発せられたことが無用な混乱を招いてしまった側面もある。加えて、国際的にどのように受け取られてしまうかについてもあまりに準備不足(シミュレーションの不在を示す)であった。「テロリストの入国からアメリカ合衆国を守る大統領令」の実効性が事前に注意深く検討されていた形跡もない。要するにトランプ政権が、行政のシロート、外交のシロートによるものであることを示した「大統領令」であった(註:3)が、しかし「嘘のニュースを見るのは嫌い」なトランプ大統領にとっては、混乱の事実も準備不足の指摘も国内外からの様々な批判も「嘘のニュース」以上のものではなく、意に介す必要など感じていないように見える。

 今回の大統領令を主導したのもスティーブ・バノン首席戦略官・上級顧問とされているが、

 

  国土安全保障省(DHS)高官は当初、大統領令の制限に該当するイスラム圏7カ国の出身であっても米永住権保持者には適用されないという解釈だった。しかし、複数の当局者は、バノン氏と同氏に近いスティーブン・ミラー大統領補佐官がこれを却下したと明かした。
  DHS関係者は、今回の移民政策転換を巡って移民、関税、国境管理の関連機関とホワイトハウスとの協議はほとんどまたは全くなく、それが大統領令適用を巡り混乱拡大につながったと明かす。
  ある政府高官は、大統領令がDHSと国家安全保障会議(NSC)の主要な関係者の目を通り、連邦議会の移民関連職員らも関与したと説明したが、複数の当局者によると、バノン氏が終始作成を主導したという。
     (ロイター 2017/01/31 12:56 最終更新:2/1 15:55)

 

このロイターの記事の後半では、「批評家らはバノン氏を反ユダヤ主義で白人至上主義だと批判する。同氏の保守派ニュースサイト「ブライトバート」は、昨年の大統領選で敗れた民主党のクリントン候補に関する陰謀説を多数掲載した」と紹介されているように、そもそもが「陰謀説を多数掲載した」と指摘されるニュースサイトの代表であった人物である。批判する側からは「陰謀説=嘘のニュース」の生産者との位置付けとなるだろう。バノン首席戦略官・上級顧問に、正確な情報に興味を持ち、情報の正確さを優先する習慣を期待するのは実際的ではない。トランプ政権の「主席戦略間・上級顧問」として、冷静な情報評価ではなく偏見に基づいた政策決定の中心となる可能性を考えておくべきであろう。

 

 

 いずれにせよ、正確な情報の正確な把握が必須となる政治の場において、情報の正確さにまったく重きを置こうとしない人物とその取り巻きに権力が与えられてしまったことだけは確かである。

 米国民にとっても、米国以外の国々の国民にとっても大きな災厄を覚悟しなければならない展開となってしまったことも確かであろう。

 

 

 ちなみに大統領令の対象とされた国々の反応は以下の通り。

 

  トランプ大統領は27日、イスラム教徒が多数を占めるイラン、イラク、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、イエメンからの難民と旅行者の入国を一時禁止しビザ(査証)発給を停止する大統領令に署名した。
  これについてザリフ外相はツイッター(Twitter)への投稿のなかで、ハッシュタグ「#MuslimBan(イスラム教徒の入国禁止)」を用いて「過激派とその支持者たちへの偉大な贈り物として歴史に記録されるだろう」と皮肉り、「集団的な差別はテロリストの勧誘活動を支援するものだ。深まる断絶を、支援者らを増やそうとする過激派の扇動家らに悪用されるだろう」と述べた。
     (AFP=時事 2017/01/29 19:37)

 

  イラク連邦議会は30日、米国のトランプ政権がイラクなど7カ国の国民の米入国を一時禁止したことに関して、イラク政府に報復措置をとるよう求める決議を賛成多数で採択した。衛星テレビ局アルアラビーヤが報じた。議会内には米国民の一時入国禁止を求める声もあるが、イラク政府は過激派組織「イスラム国」(IS)掃討作戦で連携する米国との関係悪化を避けたい思惑があり、どの程度の報復措置をとるかは不透明だ。
     (毎日新聞 2017/01/30 22:02)

 

  アメリカの支援を受けてきたシリアの反政府勢力がトランプ大統領によるイスラム圏7カ国からの入国禁止措置を厳しく批判しました。
  30日にモスクワで会見した反政府勢力は、トランプ大統領によるシリア国民らの入国禁止措置について「移民に差別的であり、人権を尊重すべき」だと訴えました。     (テレビ朝日系(ANN) 2017/01/31 5:52)

 

  イエメン外務省スポークスマンは30日、トランプ米大統領による入国規制は世界中で過激主義を助長することになると批判した。
  イエメン人が入国一時禁止の対象になったことから、スポークスマンは「不満を表明する」と強調。「テロに勝つ唯一の手段は対話であり、障壁をつくることではない」と語った。
     (時事通信 2017/01/31 14:26)

 

 

 それぞれに耳を傾けるべき内容だと思われるが、それをドナルド・トランプという人物に求めることは現実的ではない。

 

  「経営不振の偽ニュース、ニューヨーク・タイムズ紙は誰かが買収し、正しく経営するか、廃刊にすべきだ」。
  トランプ米大統領は29日、ツイッターでこうつぶやいた。自身に批判的なメディアへの攻撃をエスカレートさせた形だ。
  タイムズ紙は28日の社説でシリア難民受け入れ停止を柱とする大統領令を「臆病で危険」と非難するなど、大統領への批判を連日続けている。大統領は28日も「タイムズ紙とワシントン・ポスト紙は最初から間違っているのに、方向を変えようとしない。不誠実だ」とツイートした。
     (時事通信 2017/01/30 7:35)

 

 自分にとって都合の悪い情報は無視し、排斥する。それが米国の大統領となってしまった人物の現実への対処法なのである。

 

 

 

 しかも、マジョリティもまた「事実」の追求には興味を失いつつあり、自分にとって都合がよいと感じられる情報にのみアクセスする時代となっている。それぞれに都合よく感じられる「代替的事実(alternative facts)」が、ネットを通して簡単に手に入られる時代となったのである。

 

 「ウォール・ストリート・ジャーナル」のBEN ZIMMER氏の記事の最後は、

 

  コンウェイ氏が使った「代替的事実」は、SNS上で「alt-facts」と省略されるケースも見られる。ニューヨークを拠点とするジャーナリストのアンドレア・チャルパ氏は揚げ物など不健康な食事の写真を撮影し、「この代替サラダを今から楽しむところだ」とツイッター上に投稿している。

 

このように結ばれている。「揚げ物」が「サラダ」ではないことを「事実」と呼ぶのであり、その「事実」が自分にとって都合が良かろうが悪かろうが、その「事実」を「事実」として尊重しようとする態度によってのみ情報の正確さが保たれ、適切な判断が可能になる。これが当たり前でなくなりつつある現実を事実として噛みしめねばならない。代替品など存在しないのである。

 

 

 

【註:1】
 早くも新たな「代替的事実(alternative facts)」が当のコーンウェイ氏によって追加された(追記:2017/02/04)。

  昨年の米大統領選ではトランプ陣営の選対本部長を務めたコンウェー氏は、米ケーブル局MSNBC(MSNBC)の番組に出演し、イスラム圏7か国の市民の入国を一時禁止したトランプ氏の大統領令について、バラク・オバマ(Barack Obama)前大統領が取った策と同様のものであると擁護。
  「イラク人2人がこの国に入国し、過激思想に染まってボーリンググリーン虐殺事件の首謀者になった後、オバマ大統領がイラク難民プログラムを6か月間禁止した事実を、今まで知らなかった人は多いはず。これは報道されなかった」と発言した。
  だが、この「虐殺事件」は実際には存在していなかった。コンウェー氏は後にツイッター(Twitter)への投稿で「ボーリンググリーンのテロリストと言うつもりだった」と釈明している。
  2011年、ケンタッキー(Kentucky)州ボーリンググリーン(Bowling Green)在住のイラク人の男2人が有罪判決を受けたが、罪状は国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)に資金と武器の供与を試み、駐イラク米軍の兵士に対し簡易爆弾装置を使用したことだった。2人は長期の禁錮刑を受け、現在も収監されている。
  また米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)によると、事件を受けオバマ前大統領はイラク難民の審査手続きの厳格化を指示したが、難民受け入れ中止や禁止を命じた事実はなかった。
     (AFP=時事 2017/02/04 07:49)

【註:2】
 FOXニュースの名誉のために付け加えておくと、キャスターのシェパード・スミス氏が自身のFOXニュース番組内で、以下の発言を通してトランプ大統領による非難からCNNを擁護した事実もある(追記:2017/02/07)。

  「トランプ次期大統領は本日、CNNのジム・アコスタ記者に、お前の社は嘘ニュースだ、と述べました。ロシア関係のCNNの特ダネは、オンラインニュースメディアが(精査することなく)出したメモ類とは、根本的に別物です。我々はフォックスニュースでCNNの報道(の正否を)を確認することはできませんが、我々の見解は以下の通りです。CNNの記者はジャーナリストの規範に従っており、彼らだけでなく、他のどんなジャーナリストも、米国の次期大統領による誹謗中傷に屈してはなりません」
     (江川詔子 Yahoo!ニュース 個人 2017/01/12 19:17)

【註:3】
 大統領令の正当性をめぐる裁判の過程でも、「入国禁止」の対象国選定に際しての事前検討の不十分さと施行に際しての準備不足が明らかになっている(追記:2017/02/09)。

  中東・アフリカ7カ国からの入国を一時禁止する米大統領令の即時停止を命じたシアトル連邦地裁の仮処分を巡り、西部カリフォルニア州サンフランシスコの連邦控訴裁判所は7日、電話による口頭弁論を開いた。控訴裁は今週中に判断を下す見通し。
  各35分の弁論で、3人の判事が原告の西部ワシントン、中西部ミネソタ両州と、被告のトランプ政権側の双方の弁護士から主張を聞いた。
  トランプ大統領はテロリストの入国阻止を大統領令署名の理由に挙げている。しかし、判事が政権側に7カ国とテロを結びつける証拠を尋ねると「裁判の進行が早すぎて準備できなかった」と答えた。判事は「進行が早いと言うが、控訴裁に訴えたのはそちらだ」と追及。政権側はテロに関連するソマリア人がいたなどと述べ、地裁決定の取り消しを求めた。「裁判所を説得できているか自信がない」と政権側弁護士が漏らす場面もあり、政権側の拙速ぶりが浮き彫りになった。
  大統領令については共和党幹部らも1月27日の発令後に初めて知ったとされる。ケリー米国土安全保障長官は7日、米下院委員会で「もう少し遅らせて出すべきだった」と述べ、非を認めた。
     (毎日新聞 2017/02/08 21:24)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2017/01/31 19:47 → http://www.freeml.com/bl/316274/295176/
 投稿日時 : 2017/02/02 19:14 → http://www.freeml.com/bl/316274/295448/

 

 

 

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2017年1月26日 (木)

2017年のロージー(トランプ vs ロージー・ザ・リベッター)

 

 

 

"We Can Do It !" image from Kiara Nelson's tweet
  https://twitter.com/KiaraLynne__/status/822838399275044865/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw

 

 

 ドナルド・トランプの米国大統領就任式の翌日に、反トランプの意思表示も込めて開催された「女性の大行進(Women’s March)」の一シーンである。

 「女性大行進に舞った抗議のプラカード 共感を呼んだ英語表現20選」と題された「バズフィード・ジャパン」の記事(註:1)の中で紹介されていたキアラ・ネルソンさんによるツイート画像だ(ネルソンさんは「Little black girls, you warm my heart」との言葉を添え、この画像をツイートしている)。

 画像の中の少女の一人は、「私たちにはできる!(We Can Do It !)」の言葉と共に腕の力こぶを示す赤いバンダナに青い作業服姿の若い女性が描かれたプラカードを抱えている。

 少女がプラカード化したこのイメージこそは、前回の記事「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」の中で取り上げた、ロージー・ザ・リベッター(リベット打ちのロージー)の姿そのものである。

 

 

 トランプを相手にしたロージーの姿としては、もっと強烈なものもネット上には存在する。

 

 

"Choking Trump" by Kevin Karstens
  https://onsizzle.com/i/we-can-do-it-www-kevinkarstens-blogspot-com-yes-we-can-via-2848873

 

 

 こちらはポッドキャスト・サイトにあった「女性の大行進(Women’s March)」に関連した投稿(註:2)に添えられていた画像だが、ケヴィン・カーステンス氏(註:3)のイラストがオリジナル(註:4)らしい。

 トランプを締め上げるロージー! (このイメージは個人的に「大受け」で、実際、プリント・アウトまでして飾ってしまったくらいだ―襟のロバのバッジは民主党支持者を示しているのだとも思われるが、しかし、個人的にはヒラリーを支持する気もない)

 

 

 

 

 ここで、ロージー・ザ・リベッター(Rosie the Riveter)について復習をしておくと、レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲のタイトルで、戦時下の米国での女性労働者の姿を歌ったものである。様々なミュージシャンにより取り上げられ、リベット工のロージーの名は、戦時下の女性労働者の象徴となったようである(既に「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」の中で紹介した動画だが、登場する女性労働者のイメージが秀逸なので参考のために再録しておく)。

 

 

Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
  https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY

 

 

 

 現在、「Rosie the Riveter」で画像検索をするとまず大量にヒットするのが、件の「We Can Do It !」のポスターとそれをアレンジしたイメージである。

 

 

 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg

 

 これがJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたオリジナルのポスターで、1943年2月にウェスティングハウスの工場内に掲示されたものである。

 当時は、ウェスティングハウス社の社内用ポスターとして期間限定(二週間という話だ)で工場内に掲示されただけで、一般的には知られることのなかったポスター(戦時期米国の生産増強プロパガンダ・ポスターの一枚、ということである)であった。「ロージー・ザ・リベッター」を視覚化した画像ではなかった(そもそもウェスティングハウスの工場で製造されていたのは樹脂製ヘルメットであり、リベット工の活躍する製品かどうかという問題もある)にもかかわらず、1980年代のフェミニズム運動の中で再発見され、リベッターとしてのロージーのイメージと重ねられて流通し、現在に至ったものである(註:5)。

 

 当時、実際にロージーの視覚的イメージとして流通したのは、ノーマン・ロックウェルにより「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙のために描かれたものである。こちらはリベット打ち機を膝に載せた姿で描かれており(ポーズはミケランジェロの描く預言者イザヤの姿を模したものである)、ロックウェルは確かに「リベッター」としてのロージーを視覚化している。

 

 

 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg

 

 

 戦時期アメリカの戦時動員プロパガンダの代表的イメージとして、雑誌の表紙絵としてだけでなく、戦時公債のキャンペーンにも用いられ、当時、広く流通していたのはこちらである(著作権が戦後の流通を阻んだと言われている)。

 いずれにせよ、現在ではミラーの「We Can Do It !」のイメージの方がロージーの姿として定着しており、実際、画像検索の結果にも反映されている通りである。

 

 

 

 

 冒頭に紹介したのは、「女性の大行進(Women’s March)」に際して、反トランプの意思表示のために用いられたロージー(We Can Do It !)のイメージだが、ロージーの姿はフェミニズムの独占物というわけでもない。

 戦時期米国の女性労働者の姿は、愛国的イメージとしても流通しており、実際、昨年の大統領選挙に際しては、ヒラリーだけでなくトランプの選挙キャンペーンでも用いられていたのである(それだけ 米国民に共有されたイメージだということだ―両者共に「We Can Do It !」のミラーのデザインだが、「rosie-the-riveter-t-shirt」と記されている)。

 

 まずは、ヒラリーの選挙キャンペーン用Tシャツ。

 

 

rosie-the-riveter-hillary-clinton-for-president-2016-t-shirt
http://images.prod.meredith.com/product/c8007931a3f02f0458a1492076692c41/00629b16e6468da24b2022adf8d7946b09eb51938155591a72fa53dd4fd50245/l/rosie-the-riveter-hillary-clinton-for-president-2016-t-shirt

 

 

 ヒラリー・クリントンがミラーのポスターの女性労働者のポーズをしている。

 このデザインが呼び起こすのは「We Can Do It !」の言葉であり、ヒラリーにとっての「I Can Do It !」(私には大統領の職務をこなす自信がある)であろう。

 フェミニズムとの親和性の文脈での共感(初の女性大統領の誕生!)が期待されたデザインと言うべきか?

 

 

 

 一方でトランプ陣営でも「We Can Do It !」のイメージは人気のようである。

 トランプ支持者の女性用に製作されたTシャツには、ミラーの描いた女性労働者の姿がそのまま用いられている。

 

 

Rosie Riveter For Trump Women's T-Shirts
  https://image.spreadshirtmedia.com/image-server/v1/compositions/1007445004/views/1,width=300,height=300,version=1478262588/rosie-riveter-for-trump-women-s-t-shirts-women-s-t-shirt.jpg 

 

 

 こちらの選択はフェミニズムの文脈というより、戦時期米国の生産を支えた女性労働者の姿を通した愛国主義的共感獲得への期待であろう。

 

 極めつけは「壁を築く」の言葉と共に力こぶを誇示するトランプの姿であろうか?

 

 

donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt
  http://www.shoptv.com/imgcache/product/resized/000/981/134/catl/donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt-945_1500.jpg?k=32094d60&pid=981134&s=catl&sn=shoptv

 

 

 トランプの主張するメキシコとの間の「壁」は、米国内の自動車産業労働者の期待の象徴と言えるだろう。米国自動車産業の白人労働者の雇用の確保の手段として、「壁」は象徴的意味を与えられている。「BUILD A WALL」も、そして「MAKE AMERICA GREAT AGAIN !」もまた、トランプにとっての「We Can Do It !」であり「I Can Do It !」なのである。

 

 米国自動車産業の中心地であるデトロイト、そしてミシガン州はトランプ支持者の中心となる地域でもある。しかも、ロージーとも無縁ではない。むしろロージーの故郷というべき土地でもあるのだ。あのクライスラー社の戦車工場もフォード社の爆撃機工場も、デトロイト周辺、ミシガン州に建設されたものであった(「クライスラーの戦車」及び「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」参照)。

 ルーズベルトは1940年12月の有名な演説の中で、参戦前の米国を「民主主義の大兵器廠(The Great Arsenal of Democracy)」として位置付けた(註:6)が、まさにその中心としてイメージされていたのがデトロイトでありミシガンであった(註:7)。参戦後の米国、戦時下の米国で、その「民主主義の兵器廠」の生産を支えたのが女性労働者であり、すなわちロージー・ザ・リベッターのイメージと自身を重ねて時代を生きた女たちであった。

 それまで「男の仕事」とされていたものも戦時下の米国では「We Can Do It !」となった。大統領の職務だってヒラリーにとっては「I Can Do It !」となるだろう。

 米国の雇用環境の防衛のためなら「壁」を築くのも「We Can Do It !」であり、大統領となったトランプにとっては「I Can Do It !」となる。

 ロージーのイメージはフェミニズムとの親和性も高いが、愛国主義との親和性も高いのである。ロージーに締め上げられるトランプが力こぶを誇示しながら壁を築く。

 ミラーのポスターのイメージは米国の人々に深く浸透するものとなり(註:8)、トランプ支持者にも反トランプ派にも共に用いられる人気のアイコンにまで成長したことが、ネットで採集した画像を通して理解出来るはずだ。

 

 

 

【註:1】
 溝呂木佐季 BuzzFeed News 「女性大行進に舞った抗議のプラカード 共感を呼んだ英語表現20選」
  https://www.buzzfeed.com/sakimizoroki/wm-e?utm_term=.pwe0dyOvN#.qsqqzW4YN

【註:2】
 http://inmyroom.podbean.com/e/womens-march-on-washington-special/

【註:3】
 https://www.facebook.com/Kevin.Karstens

【註:4】
 https://onsizzle.com/i/we-can-do-it-www-kevinkarstens-blogspot-com-yes-we-can-via-2848873

【註:5】
 We Can Do It!
  https://en.wikipedia.org/wiki/We_Can_Do_It!
  
https://ja.wikipedia.org/wiki/We_Can_Do_It!
 Rosie the Riveter
  https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter

 日本語の『ウィキペディア』には「We Can Do It!」のページはあるが「ロージー・ザ・リベッター(Rosie the Riveter)」のページはない(2017/01/27 の時点では)。ちなみに『ウィキペディア』の日本語版の「We Can Do It!」の冒頭は以下の通り。

  "We Can Do It!" とは、戦時中のアメリカ合衆国でプロパガンダに使われたポスター・イメージのことである。J・ハワード・ミラーが1942年にウェスティングハウス・エレクトリックの依頼を受けて製作したもので、労働者を鼓舞して勤労意欲を高めることを目的としていた。このポスターは一般に通信社がミシガン州の工場労働者を撮影したモノクロ写真がもとになっていると考えられており、被写体となったその女性の名はジェラルディーン・ホフという。
  第二次世界大戦中にこのポスターが人目に触れる機会はほとんど無かった。それが1980年代の初めに再発見され、様々な形で広く再生産された。しばしば「We Can Do It!」と呼ばれたこのデザインは、軍需工場の労働者の力強い、しかし女性的な姿のアイコンとなってからは「ロージー・ザ・リベッター」とも呼ばれた。そして「We Can Do It!」のイメージは1980年代に始まるフェミニズムなどの政治的問題を唱道するために利用されていった。1984年には「スミソニアン・マガジン」の表紙を飾り、1999年のアメリカでは普通郵便の切手のデザインにも採用された。さらに2008年の選挙戦では、サラ・ペイリン、ロン・ポール、ヒラリー・クリントンといった政治家までこのイメージをキャンペーンの道具として利用するのである。
  今日ではこのポスター・イメージが戦争を呼びかけ、女性労働者を駆り立てるものとしてだけ利用されたという考えがしばしば議論の前提となっている。しかし戦争中、このポスターはウェスティングハウスの内部に向けてのみ展示されたのであり、掲載も1943年2月の間だけだった。そしてそもそも募集広告ではなく、すでに雇用された女性にさらなる労働を説くものとして使われたのだ。フェミニストを始めとして多くの人々がこの啓発的な姿やメッセージに飛びつき、イメージを様々な形に改変し、自己実現や勧誘、扇動、広告、パロディなどに使用した。

 ここには「被写体となったその女性の名はジェラルディーン・ホフ」とあるが、現在ではそれが誤りであったことが知られている。実際に被写体となったのはナオミ・パーカーであった。

   Miller is thought to have based his "We Can Do It!" poster on a United Press International wire service photograph taken of a young female war worker, widely but erroneously reported as being a photo of Michigan war worker Geraldine Hoff (later Doyle.) More recent evidence indicates that the formerly mis-identified photo is actually of war worker Naomi Parker (later Fraley) taken at Alameda Naval Air Station in California.
     (
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter

【註:6】
 http://www.americanrhetoric.com/speeches/fdrarsenalofdemocracy.html

【註:7】
 http://detroithistorical.org/learn/encyclopedia-of-detroit/arsenal-democracy

【註:8】
 現在では、ハロウィンの仮装のキャラクターとしても人気があるらしい。
  https://jp.pinterest.com/explore/rosie-the-riveter-costume/

   Rosie The Riveter Costume.jpg
Rosie The Riveter Costume
  
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/6d/c7/29/6dc7290fbc0ff2300e55180cabd0ec57.jpg

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/01/26 22:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/294613/

 

 

 

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2016年12月31日 (土)

フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター

 

 いわゆる「先の大戦」で日本は米国に戦いを挑み、そして敗れた(日本にとっては「大東亜戦争」、すなわちアジアでの戦争であったが、米国にとっては「第二次世界大戦」であり、アジアとヨーロッパの二正面での、まさに世界戦争であった)。ヨーロッパとアジアの二正面の戦争での米国の圧倒的な勝利を支えた米国の国力、その圧倒的な生産力については、これまでにも当時の映像を通して考えてきた。

 クライスラー社の広報用フィルム(『Assembly Lines Of Defense』)に記録されていたのは、(米国参戦前の)準戦時体制の下で、民間の自動車メーカーが大規模な戦車工場を設計し建造すると同時に戦車の設計を進行させ製造ラインを構築し、実際に製造ラインを稼働させることで戦車の大量生産を実現してしまう姿であった(「クライスラーの戦車」)。

 ボーイング社設計の新鋭四発重爆撃機B-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム(『B-29s Over Dixie』)には、B-29生産のために新たに建設したマリエッタ工場での、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されていた(「B-29 (物量としての米国の生産力)」)。

 

 

 

 今回は、コンソリ―デッド社の設計による四発重爆撃機B-24リベレーターの生産を請け負った自動車メーカー、フォード社の広報用フィルムを通して、四発重爆撃機の製造に際して自動車並みの大量生産を成し遂げてしまった米国の自動車メーカーの底力と、フォード社のウィローラン工場の生産力を支えた女性労働者の存在に焦点を当ててみたい。

 

 

 B-24の生産に際して、フォード社の果たした役割については、まず牧英雄氏の論考を読むことで、その驚異的生産力の概略を把握しておこう。

 

  各社が揃って生産に入ったB-24D系列(E/C型を含む)の機体を見ると、コ社(=コンソリ―デッド社:引用者註)のサンディエゴ工場が1942年1月、フォートワース工場が5月、ダグラスのタルサ工場が1942年8月、フォードのウィローラン工場が9月、最後に少し遅れて翌42(ママ)年4月にノースアメリカンのダラス工場が、それぞれ最初の機体を送り出している。
  このうち、注目すべきはフォード社であった。優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった。ジェネラル・モーターズなどは、各工場をイースタン部門として統合、ついには自ら開発を行なうまでになった。
  フォード社も、ミシガン州ウィローランに急遽工場を新設、製作図面を量産向けに書き直したうえ、生産設備も自動車並みに変更して大量生産に入った。
  当初は部品のみを月産100機分の予定であったが、計画を大幅に拡大、機体200機、部品150機分を月産、半ば以降はB-24生産の中心的存在となった。
  最高精密機械の航空機といえども、充分マスプロが可能なことを知らしめたのである。
  こうしたことから、最初XB-24の開発に$2.880.000、YB-24では$360.000もした価格は、1941年には平均$269.805、42年末には$137.000にまでなった。これはP-38(一人乗りの双発戦闘機である:引用者註)よりわずか1万ドル高いだけであった。 
  最大の生産がなされたB-24だが、やはり他の機体同様終戦によりPB4Y(海軍で使用されたタイプ:引用者註)と合わせ5.700機ほどがキャンセルされており、1945年5月31日に最後の機体(YB-24Nとされる)がウィローラン工場をロールアウト、10月にはプライバティア(海軍用の単尾翼タイプの機体:引用者註)の最終機も完成し、その生産は完全に幕を閉じた。
     (牧英雄 「B-24 技術的解剖と開発、各型」 『世界の傑作機No.24 B-24リベレーター』 文林堂 1995  12ページ)

 

 

 B-24の全生産機数は最終的に18000機を超える(B-24の主戦場となったのは北アフリカ及び地中海方面を含むヨーロッパ戦域だが、日本本土空襲の主力とはならなかったとはいえ、アジア太平洋戦域に展開する日本軍へはダメージを与えているのも事実である)のだが、その半数に近い8685機をフォード社が生産しているのである。B-24を開発した航空機メーカーであるコンソリーデッド社の二つの工場に加え、やはり航空機メーカーであるダグラス社とノースアメリカン社の生産機数の合計(これが航空機専業メーカの実績、ということだ)に匹敵する生産量を、自動車メーカーであるフォード社一社で達成しているのだ。

 ちなみに、日本は四発重爆撃機を開発・保有し得るだけの国力を持たなかったし、双発爆撃機の生産機数だけで比較しても日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機に過ぎず、それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB-25一機種だけで9793機と日本の全双発爆撃機生産数を凌駕していたのが、日米の生産力に関する事実である。

 四発重爆撃機であるB-24は、その双発のB-25の二倍近い生産機数であり、その半数、すなわち日本の全双発爆撃機の生産機数に匹敵する機数のB-24をフォード社一社で生産してしまっていたことになる。

 近代戦争における「物量」の問題については、圧倒的な(軍需品)生産力=供給量における絶対的優位を意味することはもちろんだが、牧氏の論考にあるように生産コストの視点も重要である。フォード社は流れ作業の導入による自動車の大量生産に成功し(=生産コストの低減)、高価であった自動車の低価格化を成し遂げ、自動車を大衆のものとした。その大量生産システムを航空機、それも軍事的に大量な供給が必要とされた重爆撃機に応用し、単に問題の量的側面を解決しただけでなく、国費の消尽としての戦争において、コストの大幅な削減にも成功していたということなのである。近代総力戦がマネジメント能力の戦争でもあったことを思い知らされるエピソードであろう(註:1)。

 

 

 そのフォード社が1943年に制作したのが、『Women on the Warpath』である。10分ほどの広報用フィルムだが、全編がカラーであるところにも、当時の日本と隔絶した米国の国力を見ることが出来るだろう(既に「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」でも示したように、自社のコマーシャルフィルムをカラーで制作してしまうのが米国の自動車メーカーの戦前以来の実力なのであった)。

 

 

Ford Willow Run Plant in World War II: "Women on the Warpath" 1943 Ford (B-24 Liberator Mfg)
     https://www.youtube.com/watch?v=Y0P6UiKPrlI 

 

 

 タイトルに『Women on the Warpath』(戦いに臨む女たち)とあるように、中心に描かれるのは女性たちの姿である。

 映像はウィローラン工場の紹介から始まるが、そこでは一時間当たり一機のB-24の生産が期待されていることが説明されると同時に、男性だけではそれが達成困難であることも語られる。加えて、既に陸海軍の婦人部隊(WAC及びWAVES)で活躍する女性たちの姿、そしてガソリンスタンドで働く女性の姿が示される一方で、まだウィンドーショッピングやゴルフに時間を費やす女性、そして家庭内で家事にいそしむ女性の姿が映し出される。彼女たちに向けて、軍需工場での労働への参加が呼びかけられるのである。

 続いて、その呼びかけに応えた女性たちの姿が映し出されるのであるが、彼女らの通勤の手段は既に自家用車なのである(それが当然のこととして描かれている)。

 洗濯物を干しながら上空のB-24を見上げていた主婦が、B-24を生産する工場の労働者となる。様々な工程が既に女性労働者によって置換されていることが示され、(その前提となる)充実した職業訓練・教育の模様が映し出される。そして当時のヒット曲『Rosie, The Riveter』(ロージー・ザ・リベッター、「リベット打ちのロージー」とでも訳すか?)のメロディーを背景に、まさにリベット打ちの作業に携わる女性労働者たちの姿が続く。

 キャンパスの女子学生も工場でのリベット打ちへと転身する(リベット打ち機の音は、文化的で民主的な生活を守る機関銃の発射音に擬せられる―リベット打ち機の連続音は『Rosie, The Riveter』の歌詞にも反映されている)。

 工場のすべての部品製造が女性労働に担われていることが強調され(プレキシガラスの成型シーンは『B-29s Over Dixie』にも登場していた―実際、見ていて面白い)、ブルーの作業服にバンダナ姿の女性労働者の姿は、ノーマン・ロックウェルの描くところの『Rosie, The Riveter』に重ねてイメージされる。

 工場の食堂や付属職業訓練校の図書室の映像は、ベル社のマリエッタ工場の福利厚生面での充実ぶりを思い出させる。

 製造ラインと組み立てラインは女性たちに支えられており、彼女たちは既に戦場の男たちの帰りを待つだけでの存在はないのだ。

 完成したオリーブドラブ塗装仕様のB-24Eは、工場に付設されたウィローラン飛行場へと移され、国民の希望と敵の恐怖の象徴として、自由な空を愛国的メロディーの合唱に伴われながら星条旗を背景に飛行し、盛り上がったところでエンドマークとなる。

 

 

 ただし『Wikipedia』(英語版)の「Willow Run」の項目等を読むと、ヘンリー・フォード自身は、当初は工場労働者としての女性の雇用には否定的であったし、工場の完成から本格的稼働(一時間に一機の生産達成)までには時間を要しているのが実情のようである(実際、ウィローラン工場については、当初はヘンリーの息子のエドセルがフォード社長としてB-24生産体制確立への指揮を執っていたが、1943年に胃癌で死去している―ウィローラン工場問題のストレスのためと言われている)。

 自家用車による通勤にしてもデトロイトからは一時間を要し、ガソリン供給に制限のあった時期の労働者にとっては決して利便な勤務地ではなく、しかも工場近郊での住宅供給は遅れ、労働者の定着率の低さに悩まされていたのが工場稼働の初期段階(労働者のストライキさえあったという)の現実でもあったらしい。

 しかし、最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達している。

 

 いずれにせよ、ヘンリー・フォードが工場労働者としての女性の雇用に否定的であろうが、多くの男性が兵士として前線へと送られる状況の中では女性の積極的雇用にしか選択の余地はない。それが「近代総力戦」の現実であった。そして、実際に多くの女性が、それまで「男の仕事」とされていた職務を男性に遜色なくこなしたのであった。

 

 

 

 せっかくの機会なので、あらためて『Rosie, The Riveter』がどんな曲であるのかを確かめておこう。

 

 

Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
     https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY

 

 レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲で、様々なレコーディングが残されているらしい。

 

 歌詞は、

 All the day long, whether
 rain or shine
 She's a part of the
 assembly line
 She's making history,
 working for victory--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Keeps a sharp lookout
 for sabotage
 Sitting up there on
 the fuselage.
 That little frail can do more
 than a male can do--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Rosie's got a
 boyfriend, Charlie.

 Charlie, he's a
 Marine.

 Rosie is protecting
 Charlie, workin'
 overtime on the
 riveting machine.

 When they gave her
 a production "E,"
 she was as proud
 as a girl could be!

 There's something
 true about--red,
 white, and blue
 about--Rosie,
 brrrr, the riveter.

 

 リフレインされる「Rosie, brrrrrr, the riveter.」、この「brrrrrr」の部分がリベット打ち機の作動音(擬音)として非常に効果的に用いられているのが録音を通して伝わるだろう。「Rosie is protecting Charlie, workin' overtime on the riveting machine.」とはつまり、戦場の恋人チャーリーを守るのが、雨にも負けず風にも負けずに一日中(All the day long, whether rain or shine)工場で生産に励むロージーのリベッティングマシーンだというレトリックである(戦場の男は、工場の女に守られる存在だ!というのである)。

 

 

 図像的には、1942年にJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたポスター(ミラーがウェスティングハウス社のためのポスターシリーズのデザイン契約をしたのが1942年で、当該のポスターは1943年2月にウェスティングハウスの工場内に掲示されたものである:2017/01/26追記)と、1943年に「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙としてノーマン・ロックウェルが描いたものが、リベット打ち(リベット工)ロージーの視覚的イメージを代表するものとなっている(註:2)。

 動画で歌の背景に用いられている当時の女性労働者の画像も興味深いし、『Women on the Warpath』に実際に登場するブルーの作業服にバンダナの女性の被写体としての選択にも、ミラーやロックウェルのイメージが反映されているように感じられる。

 

 

 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
 (https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg

 

 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
 https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg 

 

 

 ミラーとロックウェルは、若い女性の姿としてロージーを描いているように見えるが、先の『Women on the Warpath』では家庭内の主婦(ミセス)もまたロージーとなり得ることが示唆されている(むしろ主婦に対し、家庭内から外へ出て働くことが積極的に推奨されている)。

 夫は戦場にあり、(夫に対しての)家事労働の必要は減少していたにせよ、主婦の守るべき家庭には子どもという存在がある。育児の問題を解決せずして、子育ての渦中にある女性の工場労働者としての身分は不安定なままである。保育所の確保は、当時の米国女性(そして行政)にとっても課題であったが、保育への公的支援の枠組みが一般的なものとして構築される前に戦争は終わってしまった(たとえば松本園子「第二次世界大戦期アメリカ合衆国における保育問題」2005 が参考になる→ http://ci.nii.ac.jp/naid/110004475970)。公的な保育所の整備の必要は女性労働者の確保(要するに「戦時動員」である)の上でも切実なものであったが、社会が戦時から平和へと移行するに伴い、行政上の関心は失われてしまったのである(註:3)。

 戦時の産物が戦後に一般的になったものとして、インスタント食品の普及が指摘されるが、女性が外で働く上で、インスタント食品の果たした役割も無視し得ない(柏木博 『家事の政治学』 青土社 1995)。インスタント食品は軍の糧食としても役立ったが、家庭の外で働くことを選んだ女性たちの支えにもなったのである。

 

 

 

 最後に再びフォード社の広報用フィルムを見ておこう。『STORY OF WILLOW RUN』は、戦前のまだ田園地帯であったウィローラン地域の映像から始まる。

 そこにフォード社は、世界最大規模の爆撃機生産工場を建設し、工場のための飛行場まで自身の手で開設してしまうのである。

 

 

" STORY OF WILLOW RUN "
Save the Willow Run Bomber Plant landmark - Amazing Local History in WW II effort

     https://www.youtube.com/watch?v=77_6MExOp8g&t=22s  

 

 

 映像はヤンキー航空博物館(Yankee Air Museum)の提供によるもの(ただしモノクロの不鮮明な映像なのが残念)のようだが、この航空博物館こそは、かつてのウィローランの記憶を伝えるために、現在のウィローランで設立・運営されているものなのである。

 戦前、1930年代のウィローランは、ヘンリー・フォードの農場であった。フォードは青年教育の場として農場を位置付け、都市部の青少年の体験の場としたのである(都会っ子が田園生活と農場労働を体験し、自立心を涵養し、やがては良き労働者となる)。

 1930年代にはナチスが台頭し、1939年にはヨーロッパでの戦争が現実化する。米国でも、四発重爆撃機の開発・配備が課題として意識されるようになる。B-24も、その中でコンソリ―デッド社によって生み出された機体である。そして牧英雄氏の論考にあるように、「優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった」という状況の下で、ウィローランのフォード農場は、四発重爆撃機製造工場と付設飛行場として再出発することになる。

 映像で強調されるのは、大量生産を得意とする自動車メーカーによる、一時間に一機という生産ペースへの期待と達成である(航空機専業メーカーでは一日に一機がやっとなのが実情であった)。

 まずは大規模プラントの建設である。設計を担当したのは、クライスラー社の戦車工場(デトロイト工廠)の設計者でもあったアルバート・カーンであった(1942年に死去したカーンの最後の作品と言われる)。

 併設された飛行場へ着陸するB-24の姿に続くのは、広い駐機場にずらりと並ぶ重爆撃機の威容であり、そこに見出されるのは米国の国力であり、フォードの生産力である。

 このフィルムにも自家用車で通勤する労働者の姿が記録され、続いて行き届いた職業教育訓練の模様が映し出される。

 部品の製造から組み立て完成まで、そのすべてが工場内で果たされる。大規模な、そして精密な工作機械が製品―すなわち四発重爆撃機―の完成度を保証するのだ(精度の確保は工業生産品としての互換性の確保を意味する)。大量の訓練された労働者が、その生産を可能にする(トヨタ的には、労働者の動きは緩慢に見えるだろうが)。映像の9分付近ではリベット製造工程が記録されているのも興味深い。

 やがて生産現場での女性労働者の存在が明確に描かれるが、そのすべてが白人であるところが、ベル社のマリエッタ工場の記録フィルムとは大きく異なる点ではある。

 そして自動車メーカーとしての大量生産の経験と爆撃機製造ラインでの高い生産能力の連続性が語られる。組み立てラインでは、機体はまず6区画に分割製造され、それが一体化される。

 技術を要求される溶接工もリベット打ちも女性がこなし、ここでもプレキシガラスの成型シーンが登場する(効率的ではあるが手作業に依存していることもわかる―つまり訓練が必要な労働ということでもある)。

 組み立て工程でも自動車大量生産の経験が反映されていることが繰り返し強調される。

 外翼部と中央部の接合に際して活躍するのは、小人の男性である(差別の対象ともなる身体特徴が利点となる)。この映像には、正直なところ驚かされた。

 最終的に分割製造された機体を組み上げる工程が描かれるわけだが、その背景となっている工場の規模の巨大さ(組み上げのために機体各区画の効率的移動を保証するのは工場の天井高の余裕である)にも気付いておきたい。

 工場建屋内に列をなす完成されたB-24を背景にナレーションが誇らしげに語るのは、ウィローラン工場開設の1941年当時には不可能と見做されていた毎時一機の重爆撃機生産を、実際に達成してしまったフォード社の「ミラクル」な能力である。

 完成したB-24は工場内から飛行場へと移され、作動テストが始められる。機銃の試射が行なわれ、模擬爆弾が搭載された爆撃機にはクルーが乗り組み、飛行試験が行われ、模擬爆弾の投下も含め様々な機器がチェックされる。

 無塗装のB-24が、まさに銀翼を輝かせ飛行する姿は印象的である(註:4)。

 

 

 

 フォード社の桁違いな航空機生産能力を見せつける(ための?)フィルムだと思うが、もちろん、フォード社の本業は自動車の大量生産であり、フォード社は大量の車両も供給している。戦時期を代表する軍用車両であるジープについてだけ見ても、総数64万台のうちフォード社は27万8千台近くを生産・供給しているのである(残りの36万台はウィリス社が生産)。米国の二正面での戦争の勝利は、このような民間企業の生産力に支えられていたことを、この機会に再確認しておきたい。

 

 

 

【註:1】
 戦時期に陸軍の統計管理局でそのマネジメント能力を発揮したハーバード・ビジネススクール出身者の一人であるロバート・マクナマラは、戦後にフォード社の一員となり、最終的にはフォード社の社長の地位を得る。更にケネディー政権の国防長官に就任するが、マクナマラを中心とした「ベスト・アンド・ブライテスト」は、そのマネジメント能力をフルに発揮することによって、米国をベトナム戦争の泥沼へと導くこととなった。

【註:2】
 ロックウェルのロージーは当時を代表する雑誌の表紙絵として、確かに戦時期米国の女性労働者のイメージ形成に影響力を持ったであろうが、ミラーのポスターはウェスティングハウスの社内用で当時から知名度が高かったわけではないし、そもそもリベット工の女性を描いたものではなかった(1980年代のフェミニズム運動の中で図像が「再発見」され、現在では非常に影響力ある視覚イメージとして流通しているが)。

 現在ではモデルも特定されている。
  J・ハワード・ミラーの「We Can Do It!」のモデルのナオミ・パーカー
   → http://www.naomiparkerfraley.com/we_can__do_it1pose.jpg
    (→ http://www.naomiparkerfraley.com/
  ノーマン・ロックウェルの「Rosie, The Riveter」のモデルのマリー・ドイル
   → http://www.trbimg.com/img-55381803/turbine/os-mary-doyle-keefe-20150422
    (→ http://www.huffingtonpost.com/2015/04/23/rosie-the-riveter-dead_n_7126782.html
  米国の国民的アイコンとして、様々なパロディーの供給源ともなっている。
   → http://www.shoptv.com/imgcache/product/resized/000/981/134/catl/donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt-945_1500.jpg?k=32094d60&pid=981134&s=catl&sn=shoptv

【註:3】
 『MANPOWER』と題された1943年の米国政府の公式フィルム(戦争情報局制作)には、保育の問題も取り上げられている(https://www.youtube.com/watch?v=eKrHfTGWxQ4)。このフィルムでは、恐慌以来の失業者、(これまで多くの職業から閉め出されていた)有色人種、女性、そして障害者が戦時下での新たな労働者として取り扱われており、それはまさにB-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム、『B-29s Over Dixie』に登場する人々と共通する。
 松本園子氏の論文にも、戦時期になって保育所の入所申込用紙の「申込み理由」欄に「共働き(both working)」の項目が新設されたことが記されているが、フィルム中でも軍需産業での「共働き」と「保育の保障」の密接な関係が描かれている(しかも性別による区別のない同一労働同一賃金の原則が強調されている点も見逃せない)。戦時動員のプロパガンダの主体としての戦争情報局(Office of War Information)の認識が反映されてのこと―保育施設設置は「ランハム法」に基づき連邦職業庁(Federal Works Agency)が管轄した―であろうが、連邦社会保障庁(Federal Security Agency)児童局が保育所拡充に消極的であったこと(一枚岩の体制とはなっていなかったこと)も松本氏の論文には記されている。保育所の問題については、連邦としての(つまり「国策」としての)一枚岩の戦時体制が構築される前に戦争は終結したということのようである。

【註:4】
 『Women on the Warpath』の時点、すなわち1943年の生産機種であるB-24Eはオリーブドラブに塗られていたが、『STORY OF WILLOW RUN』に登場するのは無塗装の機体である。
 無塗装が採用されたのはB-24H-10-FO以降だとされるが、機体の形状からはB-24J及びMとの判別は難しい。
 『Women on the Warpath』に登場するB-24Eには1942年5月から1943年6月まで用いられた国籍マークが記され、『STORY OF WILLOW RUN』に登場する機体に記されているのは1943年9月以降に用いられたものだと思われる(http://www.bowersflybaby.com/stories/army_paint.html)。
 ちなみに、『Women on the Warpath』については1943年のフィルムとされているが、『STORY OF WILLOW RUN』については明確ではない。
 この『STORY OF WILLOW RUN』のナレーションでは、フォード社の総生産機数を「8685」と明言しており、(撮影時期はともかくとして)生産の終了した1945年6月以降の編集である可能性はある。一方でこれからも繰り返し出撃することが語られていることからすれば、戦争終結以前に編集されたフィルムであることも言えそうである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/12/31 11:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/292629/

 

 

 

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2016年11月11日 (金)

「あかり/AKALI」展(武蔵野美術大学美術館)を観る

 

 展示を通して何より衝撃を受けたのは、かつての「あかり」の暗さであった。そこにあったのは、まさにかつての世界の「暗さ」を「目の当たりにする」経験である。

 

 

 企画は、平成25年に武蔵野美術大学 美術館・図書館が一般財団法人山際照明造形美術振興会より譲り受けた、広瀬二郎氏収集の灯火具コレクション(約1300点)を広く一般に公開することを目的としたものだそうで、3つの展示室で構成されている。

 それぞれにテーマごとに展示が構成されており、「あかりの世界」として日本の「あかり」の歴史の全体像が示され、「あかりのデザイン」として日本の「あかり」の特質を象徴する器具がピックアップされ、「あかりの感覚」として日本の歴史の中で経験されてきた「あかり」の明るさ(あるいは暗さ)を体感することになる。前二者は展示がそのままコレクションの紹介にもなっているが、「あかりの感覚」の展示は、コレクションにある様々な照明器具の実際の「明るさ(あるいは暗さ)」を体感すると同時に、その照明器具の「明るさ」に規定されたかつての日本の室内空間の特質を示し、更にその中に絵画や彫刻、茶道具等の美術作品(現代では「美術作品」と総称されてしまうが、もちろん、歴史的に言えば、そのようなカテゴリー自体が近代に輸入されたものでしかない)を置くことで、当時の空間にある「あかり」の中でどのように見えたかを体感するように構成されている。

 

 その「あかりの感覚」の展示室は更にいくつかに分割され、導入部の後に続くのが、当時の闇の暗さ(新月の夜の闇)を体感することから始められ、障子越しの光や、行灯の明るさ(暗さ)を体感し、浮世絵の中での光の描かれ方や、「枕草子」の記述を視覚的に経験することで構成されたコーナーであった。

 そこは入り口と出口が暗幕で仕切られており、まず「闇」が何であるかを知ることが出来る。自身の手を目の前にかざしても、何も見えないのだ。そして行灯である。

 実は、私は三回も展示に通ったのだが、最初は衝撃。二回目はその再確認。三回目は、書棚にあった和書(和綴じ本―ただし江戸期のものではなく手近かにあった明治初期の教科書を用いたが、問題は文字のサイズなのでそれでよしとした)と戦前の岩波新書(現在より活字が小さい)を持ちこんで、実際に行灯の光で読めるのかどうかの確認をした次第。結論としては、読むのは難しい。もちろん、行灯の明るさ自体、ある程度は調節可能(灯心の数を増やす等、あるいは有明行灯のように構造上の工夫による直接光と反射光の利用)であり、かつても読書時には今回の展示とは異なった光量であった可能性もあるが、しかし暗いことにはかわりはない。

 いずれにせよ、水戸黄門(テレビドラマの話だが)の室内空間の明るさは虚構であり(エンタメ作品を責める必要はないが)、実際の水戸光圀公が『大日本史』の編纂作業を始めた頃の読書空間の明るさは、この行灯の明るさ(暗さ)から想像する必要がある、ということになるだろう。

 その先の展示コーナーでは、谷中の茶室寿庵の室内空間が再現され、そこに上り込んで、夜明けから日が沈み灯火の下に至るまでの茶室内の光の在り方の移ろいを体験出来るようにもなっている。

 日の移ろいと共に、障子越しの光の差し方も変化し、日中の光と朝夕の光の質的変化までもが体感出来る。その上で、灯火が点される日没後の世界となる。こちらは和紙を通した透過光であった行灯とは異なり、蝋燭の直接光なので、読書には行灯ほどの難はない。しかも、光源が室内の低い位置なので、床上あるいは膝上(そして書見台上)での読書には適したものと言い得る。この光源の位置は、日中の座位に対しては高めの位置の障子越しの光とは異なり、茶道具を用いて茶をたてる手元に意識を集中させることにも役立つ(逆に顔の表情は見えづらくなる)。

 そんな経験を通して、現代の感覚からは想像し難い、かつての日本の室内空間の在り方が見えて来るのである。かつての視覚的経験の世界を、視覚的経験を通して体感する(目の当たりにする)のである。

 それに関連して、「あかりの感覚」展示の中で興味深かったのは、高い位置に光源のないかつての日本の室内空間の中での屏風や襖絵の金の意味(反射光の創出)であったり、浮世絵の陰影のないフラットな表現(輪郭線と面で構成された画面)と暗い室内(日中でも現代感覚からすれば暗いし、日没後には、これまで述べた通りの環境となる)での鑑賞の関係性の指摘であった。

 また、東大寺の「お水取り」だったり、様々な民俗行事などの祝祭的空間での「かがり火」の明るさの持つ意味の性格(夜の闇が当たり前の世界の中での、まさに非日常なのである)。かつての屋内空間の中での仏像彫刻や宗教画の見え方についても深くは考えたことなどなかったし、そこに一貫している座位を中心とした振る舞い方についての重要性についても同様である(光源の位置や座位との関連については「あかりの世界」の中でも示されている)。

 

 そんな視覚的経験を通った上で、あらためて広瀬二郎氏のコレクションに接する。それが単なる今では貴重となったモノのコレクションであることから、かつての日本の空間感覚を宿した道具のコレクションであることに思い至る。

 

 

 教科書的知識としては、たとえば明治になってのガス燈の明るさに驚嘆する当時の人々については十分に知っていたつもりなのだが、それがあくまでも机上の知識に過ぎなかったこと―ガス燈以前の「闇」の深さへの想像力の至らなさ―が暴露される展示でもあった。

 また、そんなガス燈の輸入があり、その後の電化による電燈というより明るく扱いやすい光源(スイッチ一つで点灯・消灯が可能なのだ)を手に入れ、少なくとも都市部での普及には成功した20世紀の日本が、「先の大戦」の際には「灯火管制」により再び「闇」の世界に戻り、更に空襲によるインフラ破壊により「停電」による「闇」を経験することになる。戦時日本は、昂揚される戦意の一方で、(比喩ではなく)実質的に「闇」を体験する世界となっていたことになる(戦後の蛍光灯による明るさの標準化も、戦時の「闇」体験の反動という一面もあるのかも知れない)。

 もちろん、インフラ破壊がもたらされるような大災害時には再び「闇」の支配する世界となるわけで、それと隣り合わせなのが、私たちの享受する明るい日常なのだ。

 

 

 

 かつての「闇」と、その中での「あかり」の明るさ(暗さ)を「目の当たりにする」ことで、様々な思いに導かれる。

 そのような実に秀逸な展示であった(ただし、11月12日で終了してしまう)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/11/11 20:25 → http://www.freeml.com/bl/316274/289160/

 

 

 

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2016年11月 5日 (土)

『シン・ゴジラ』(2016)をついに観た

 

 タイトル通りの話で、11月3日に立川の映画館の「極上爆音上映」企画の上映を観たのであった。

 

 永田町、霞が関方面壊滅後の政府対策拠点となるのが、まさに立川ということで、後半のシーンではどこか臨場感のようなものが感じられたりもするのであった。

 

 

 以下、レビューというよりネタバレ前提の感想文程度の内容となってしまうだろうが、ま、とりあえずのメモ記事である。

 

 

 

 パートナーはなんとこれで4回目の上映館通いという具合(娘も少なくとも2回以上)で、家庭内の会話、ネットで眼に入ってしまう情報等から、映画の全体構成を事前に知ってしまうという理不尽な状況の中での『シン・ゴジラ』だったので、で、事前に知ってしまった通りにストーリー展開するような状況でもあって、初めて見るのに既視感に伴われるという、純粋に映画を楽しむためにはマイナス条件の中での感想文となってしまうわけだ。

 

 

 で、既に観てしまった人向けの内容として、詳しいストーリーの説明はせずに、感じたことを書き連ねておく。

 

 

 で、噂通り、映画のかなりのシーンが、政府の対策会議での政府関係者間のやり取りに費やされている。

 日本の行政システムは法令順守を基本に組み上げられているから、原因のよくわからない災害(最初は海底トンネルの崩落)対策のための対応にしても、そのために新たな組織が必要がどうか等々の検討が必要となるし、新たな組織の立ち上げには閣議決定が必要となるし、閣議決定や省令や通達で可能な対応範囲を超えれば新たな立法措置も必要となる。そのために政府閣僚を含む政治家側の関係者(決定を下す人々)と、実際に行政組織を運営する官僚(決定を実行する人々)の意思疎通が重要であり、しかも状況は時々刻々変化していくのだ。

 その都度の決定権者が誰であり、どの部局が対応に当るのかもまた、その都度の様々なレベルの会議で、法令に定められた通りに決められなければならない。

 ゴジラの登場は、そんな日本の政治行政システムを揺さぶり続けるわけであり、その間のあたふたぶりが笑いを誘うのであった。映画ではまったく描かれていなかったが、「特別立法」は立法府(国会)の審議・承認なしには成立しないわけで、映画の背後では、国会内の様々なやり取り(野党の抵抗とか)もあったはずで、そんな経緯も取り込んだヴァージョンを観たい、という無茶な個人的要望が(正直なところ)生まれたりもしている。

 

 映画ではあまり描かれていなかったと思うが、官僚組織は(そして政治家という人種も)、常に自らの権限の拡張を志向すると同時に、権限の限定により責任から逃れる方策を確保しておこうとするという、相反する傾向への際限のない努力をその習性としている。ゴジラ問題を誰の、そしてどの組織の所管とするのか?これは当事者にとって悩ましい問題となったはずである。映画冒頭からしばらくの間は、事態への楽観が支配し、その点についてはそう深刻にならずに済んでいたはずだが、事態が深刻さを増すに従い、他の部局・組織に任せ、自らは責任を負わずに済ませよう的心理が支配していくことになったであろう。

 

 

 そんな中で立ち上げられるのが主人公率いる「巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)」である。各部門のエキスパートを組織横断的に結集した、と言えば聞こえがいいが、実態は「霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」の集まりであると(映画の中でも)説明されている。

 要するに、高い専門能力は持つが、組織への適応能力が低く、出世とも無縁な連中という設定である。

 これは、戦争アクション映画の王道設定のひとつでもあり、『シン・ゴジラ』はその枠組みの中で進行する、「闘う行政組織アクション映画」として位置付けられる、ということだ。

 

 映画ラストあたりでの「日本はまだまだやれる」的セリフにしても、その「まだまだやれる日本」を支えたのは、民衆でもなく主流派エリートでもなく、「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であったことは、この映画を評価する上で非常に重要な構図だと、私は思う。

 

 このセリフを含めて、自衛隊の活躍が描かれていること等に対し、サヨクの皆さんからの『シン・ゴジラ』の評判は悪いらしいが、サヨクの皆さんは、日本を救うのが国内の「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であるという設定を見落としているのではないか、そう思わぬでもない。行政組織アクションとして、それも「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」が中心となった行政組織アクションとして、要するにただただエンタメとして楽しめばいい(エンタメのしてのレベルが低いというのならともかく)のに、誰でも言えそうな形式主義的批判をしていい気になっている(ように見える)のはアホくさい話である。

 

 

 

 で、問題の自衛隊だが、戦闘部隊はゴジラに歯が立たないのである。最終的にゴジラを倒す決定打となるのは工兵部隊(その中の特殊車両部隊)なのである。

 この設定の意味も、もう少し考えてもいいんじゃないかと思う。

 

 自衛隊の戦闘部隊の保有する対戦車兵器も、対航空兵器も、それぞれの(本来の)用途には有効であっても、ゴジラはあまりに巨大で堅牢であり、それらの兵器の口径(あるいはミサイルのサイズ)では太刀打ち出来ない(まったくダメージを与えられない)、ということなのだ。

 ここで気付かなければならないのは、自衛隊の保有するのは、何だかんだ言いながら、(国境線を含む)自国内での敵戦闘力への防御兵器だということで、国外での敵の殲滅には不向きな編成だということである。地中貫通型爆弾の投入でゴジラにダメージを与えたのは米空軍爆撃機なのである。米軍の国外での対敵戦闘能力の象徴のひとつが、この地中貫通型爆弾なのであり、単なる対人兵器でも対戦車兵器でも対航空兵器でもなく、敵の軍事インフラそのものを攻撃するもの(そして民間施設を「誤爆」するもの)なのだ。

 

 これも自衛隊プロパガンダ扱いをされてしまうのかも知れないが、しかし、『シン・ゴジラ』が正確に描いているのは、対外軍事作戦の主力たり得ない自衛隊の姿であり、自国防衛に特化した兵器により編成された自衛隊の姿なのである。もちろん、米軍の「お伴」として米国による対外的軍事作戦の一環を担うという選択肢は残されてはいるわけだが。

 

 で、先に指摘した通り、犠牲を出しながらもゴジラにとどめを刺すのは、同じ自衛隊の中でも工兵部隊なのであり、その際の主力となるのがコンクリート注入用の特殊車両(あの福島第一原発の顛末と同様に)なのだ。そしてその際の薬剤を短期間で供給し得た化学メーカー(その現場の人々の努力・集中力)なのである。

 

 

 

 自衛隊礼賛プロパガンダ映画として(誰でも出来るような)批判をしていい気になるよりは、エンタメとして楽しんだ上に、このようなディティールに着目して楽しむ。

 

 そういう知的余力を備えていた方が人生は楽しめる、んじゃないかと…

 

 

 

 もっとも、最終的にゴジラを倒した(というか凍結した)「ヤシオリ作戦」の経過は、あまりに上手く行き過ぎな印象もあって(あそこまで計算通りにはいかんでしょう、フツー)、リアリストである私には多少の違和感がなきにしもあらずではあるのだが、あそこで成功させないと映画が二時間の枠に納まりきらなくなるという「大人の事情」も理解するので、特に文句を言おうとも思わない(もっとも、娘は二回目の映画館で、「今度は失敗するかも知れない」的気分で見守っていたという話なので、「常にあんなに上手く行くわけはない」的気分は、私と共有されていたようである)。

 

 

 映画館を後にした私とパートナーはビデオ・レンタル店に立寄ったのだが(パートナーがゴジラの旧作チェックを思いついたため)、私が借り出したのは(ゴジラとは関係ない)「鷹の爪」シリーズのアニメDVDで、タイトルは『独立愚連広報部』。この中に、「存在するかも知れないUFOに対する自衛隊出動の法的根拠」を首相に問う石破防衛大臣(福田内閣当時)の姿があって、『シン・ゴジラ』の会議シーンと重なり(そして、『シン・ゴジラ』をめぐる石破氏当人の発言と伝わるもの―ゴジラへの自衛隊の出動は「防衛出動」じゃなくて「災害派遣」の「害獣駆除」であるべきはず―までが思い出され)、あらためて「鷹の爪」の監督フロッグマン氏への敬意も高まったのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/11/05 16:41 → http://www.freeml.com/bl/316274/288765/

 

 

 

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2016年10月25日 (火)

B-29 (物量としての米国の生産力)

 

 以前に「クライスラーの戦車」と題して、米国の準戦時体制下で、民間の自動車メーカー(クライスラー社)が短期間で、戦車の設計から大量生産にまでを達成してしまうまでの記録フィルム(クライスラー社の広報用である)を紹介した。そこには、詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力が記録されていた。

 

 

 

 今回は、日本国民にとって、あの「先の大戦(大東亜戦争)」における米国の圧倒的な軍事力の象徴とも位置付けられる四発重爆撃機、あの憎っくきB-29の生産工場をめぐる記録フィルムを紹介しておきたい。

 

 

 

 まず、陸軍省による『Birth Of The B-29 』である。

 

Birth Of The B-29 (1945)
     https://www.youtube.com/watch?v=L5Ny77UgplU

 

 

 動画サイトのデータ(米国版のウィキペディア記事からの引用だが)によれば、1945年制作であるらしい。ただし、内容からして、日本降伏以前のものと思われる。

 フィルムの冒頭では、当時の日本が、オリエンタリズム的視点に戦時プロパガンダを重ねたような切り口で紹介される。そこでは、日本が欧米の「コピー」による近代化を成し遂げたことが語られ、英語圏諸国向けの工業製品に刻印された「Made in JAPAN」の文字が強調されると同時に、その輸出品の収益が軍事力強化に用いられ、中国大陸での軍事的進出の基盤となっていることが主張される。

 その日本による対米開戦後の米国による日本本土初空襲の際の映像に重ねて、それが「Made in America」によるものであることが強調される流れとなり、続いて日本本土攻撃の最新鋭兵器としてのB-29の工場に焦点が合わされ、米国の高い技術力と生産力の実情が視覚的に明らかにされる。

 そこで描かれるのは、工場の圧倒的な巨大さ(建屋内に、あの「重」爆撃機B-29が並んでいるのだ!)や、最新鋭の生産設備の充実ぶりと同時に、生産にあたる工場労働者の姿である。強調されるのは、肌の色の違い、経歴の違い、性別の違い、年齢の違いを超えて(それどころか障害を持つ人までもが)一丸となって生産に励む姿である。すなわち米国にとっての「総力戦」の内実である。「人種」の区別なく(その待遇に区別がなかったかどうかは疑わしいが)、男も女も、老いも若きも、障害の有無を問うことなく、団結して生産に励む姿が、陸軍省による戦時プロパガンダフィルムに記録されているのである。

 フィルムの最後の方では、そんな労働者たちの上をフライトするB-29の姿(オリーブ・ドラブの塗装が施された最初期の機体である―本格的に生産される頃には、あの銀色に輝く無塗装が標準化された)が印象的な爆音と共に映し出され、中国大陸での中国人労働者の人海戦術による飛行場建設の模様と、そこから離陸するB-29の姿でエンド・マークとなる。

 

 

 

 この陸軍省による戦時プロパガンダフィルムにも登場するベル航空機のB‐29生産ラインの詳細と周辺状況が、ベル社自身の広報用フィルムにも描かれている。

 

B-29s Over Dixie: Building the Superfortress - 1944
     https://www.youtube.com/watch?v=ybGGmjm9JZ4

 

 

 B‐29は、ボーイング社の設計になる米国の四発重爆撃機だが、その生産はボーイング社(シアトル工場、ウィチタ工場、レントン工場)だけではなく、ベル社のマリエッタ工場、マーチン社のオマハ工場でも行われており、そのマリエッタのベル社工場にまつわる記録フィルムである。

 こちらも、陸軍省版と同様に、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細が記録されているが、興味深いのは工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されている点である。

 充実した工場内食堂(現代からすればかなりカロリーが高そうなメニューだが―戦時下の大日本帝國臣民には夢物語である)の光景だけでなく、労働者用の運動施設、娯楽施設、電化されたキッチンまで備えた工員用住宅…とその福利厚生面での充実ぶりにはうならざるを得ない。しかも、労働者が自家用車で通勤する様子までが(当たり前のように)記録されているのである。

 米国の圧倒的な国力が、最新設備を備えた巨大な生産ラインからだけではなく、福利厚生面での労働者の待遇を通して実感されるはずである。

 ピープル・オブ・デモクラシーによるパワフル・ウェポン・オブ・デモクラシー(どちらもフィルムのナレーションにある表現)の生産ラインとその周辺状況の記録が、民間企業の広報用フィルムとして残されたわけである。

 

 

 この二本は、既に戦時下となった米国の爆撃機生産ラインの記録であるが、対比のために、参戦前(日本による対米開戦以前)の爆撃機生産ラインを記録したフィルムを紹介しておこう。

 

Building a Bomber: The Martin B-26 Marauder 1945
     https://www.youtube.com/watch?v=vnb0Ib5F9GU

 

 

 こちらは米国の「Office for Emergency Management」(「非常時緊急対策局」などと訳されるらしいが、「アメリカ合衆国大統領行政府」の所属機関である)制作による、双発爆撃機B-26の生産ラインの記録である。動画サイトの表題には「1945」とあるが、内容からして米国の参戦前に撮影・編集されたものと推測される。

 冒頭のキャプションやナレーションで強調されるのは、国家の防衛、そしてデモクラシーの擁護の重要性である。全体を通しても、戦時下であれば強調されるはずの爆撃機としての攻撃力への言及は控えめであり、プロパガンダ要素はあっても、具体的な敵への言及はない(ヨーロッパがヒトラー支配下にあることは指摘されてはいるが)。また、飛行シーンに登場する機体の国籍マークも1942年5月までしか使用されていないものであり、撮影時期は当然それ以前でなければならない。

 工場内の情景を見ても、労働者は男性のみであり、しかも若い男性工員の姿が目立つ。ここに参戦後の総力戦状況での工場(先に紹介したB-29の工場の労働者の構成)との著しい相異が見出されるように思う。このフィルムを先の二本の記録フィルムと対比することで、参戦前(ほぼ白人男性のみで、しかも多くの青年労働者を含む―つまり、まだ大量の兵士となるべき若い男性が必要とされていない状況)と参戦後(人種や性別や年齢を問わない)の労働事情の変化が、まさに「目の当たり、あるいは一目瞭然」的に理解されるだろう。そして、視覚的記録の重要性、ということも。

 

 

 

 最後に紹介するのは英国の総力戦状況が伝わる記録フィルムである。

 

Why We Fight: The Battle of Britain (Frank Capra)
     https://www.youtube.com/watch?v=cSZnFo7JORo

 

 

 米国陸軍省による「Why We Fight」と題されたシリーズの一本である。このシリーズは、当時の米国を代表する映画監督が参加しているところに特質があり、このフィルム『Why We Fight: The Battle of Britain 』の監督は、いわばアメリカン・デモクラシーの伝道者とでもいうべき、あのフランク・キャプラである。

 キャプラにより、1940年の英国の状況(まだ米国の参戦前であり、ナチスによる占領をかろうじて免れたものの、ヨーロッパで孤立した戦争を強いられていた時期)、英国がナチス・ドイツによる対英侵攻作戦の撃退に成功するまでの状況に焦点を合わせたドキュメンタリー映像である。

 これを特にここで紹介しようと思ったのには理由がある。このフィルムの7分台から9分台にかけての部分に、英国の総力戦状況が記録されているからである。ここでも、あらゆる年齢層・経歴の男達が軍事訓練に参加し、英国の防衛を志す姿に加え、軍服に身を包み様々な軍務をも担当する女性の姿が描かれるだけではなく、生産ラインでの性別を問わず年齢を問わない工場労働の情景が記録されているのである。

 特に興味深く感じたのは、当初は労働時間の延長による生産の達成が、当然のこととして実行されていたのに対し(最終的には週70時間労働までになったというが、それが現代日本の「ブラック企業」並みなところが何ともな話ではある)、その後の経験により、生産性の観点から政府の政策として長時間労働が否定されるようになったとのエピソードである。「滅私奉公」の「長時間労働」だけにしか活路を見い出せなかった(出そうとしかしなかった)戦時日本との断絶は大きい。英国人は、滅私奉公の長時間労働が生産性向上につながらず、むしろ阻害要因となることを理解し、そこに活路を求めようとはしなかった、ということなのである。

 

 

 

 米国の「物量」、そして総力戦状況の実際(中でも民間企業の福利厚生面でのあまりの充実ぶり!)。参戦前と参戦後の相異。英国の総力戦状況下での長時間労働の否定。

 記録フィルムを通して、「目の当り」にすることが可能になるというお話。

 

 

 

《背景》
 タイトルを「物量としての米国の生産力」としておきながら、本文では、その数量的側面に触れぬままになってしまったので、大内健二氏の『ドイツ本土戦略爆撃』にある「第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量」と題された表から、日米の爆撃機生産量の隔絶ぶりを確認しておきたい。

第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量(単位・機)

アメリカ
四発重爆撃機
ボーイングB17
     12677
コンソリーデッドB24
     18181
ボーイングB29
      3970
コンヴェアB32
       115
双発爆撃機
ノースアメリカンB25
      9793
マーチンB26
      5157
ダグラスA20
      7478
ダグラスA26
      1909
マーチンA30
      1575
 合計  60855

日本
双発軽爆撃機
九九式双発軽爆撃機
      1977
双発爆撃機
九七式重爆撃機
       713
百式重爆撃機「呑龍」
       796
四式重爆撃機「飛龍」
       606
九六式陸上攻撃機
      1048
一式陸上攻撃機
      2416
陸上爆撃機「銀河」
      1002
 合計   9558
大内健二 『ドイツ本土戦略爆撃』 光人社NF文庫 2006 331ページ 第15表より抜粋

 まず日本は四発重爆撃機を保有していなかった。その上で双発爆撃機の生産機数だけで比較しても、日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機。
 それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB25だけで9793機と日本の全生産機数を凌駕しているのである。
 B29は3970機と少ないように感じられるかも知れないが、それは単にその時点で戦争が終結してしまったからに過ぎない。それ以上生産する必要がなくなった、ということなのである。
 生産機数12677のB17は日本本土爆撃には用いられていないし、18181のB24も同様である(太平洋戦域での作戦活動はしているが)。
 必要であれば、つまり日本の降伏が遅れれば、より多数のB29が生産され、本土爆撃に用いられた。そう考えればわかりやすいだろう。
 もっとも、ポツダム宣言の時点で、既に日本国内の主要都市は焼け野原となっていたのも事実であり、米国が、より以上のB29を必要と考えたかどうかはわからないが、既にヨーロッパでの戦争に勝利していた米国にとって、ヨーロッパ戦域での主要重爆撃機であったB17とB24の追加生産を必要としなくなった米国にとって、生産能力には十二分な余力があったことも確かなのである。
 上の表にある生産機数に各爆撃機の爆弾搭載能力を加味すると、投下爆弾量の日米差は絶対的なものとなるだろう。

 ちなみに、英国の爆撃機生産機数の合計は36608機である。
 しかも、そのうちの四発重爆撃機だけで、

ショート・スターリング
      2371
ハンドレページ・ハリファックス
      6176
アブロ・ランカスター
      7336

 合計で15883機である。
 この圧倒的な爆弾搭載能力を備えた一万五千を超える重爆撃機群が、ドイツ本土爆撃に用いられたのである。もちろん、それに加えて米軍の四発重爆撃機も、ドイツ本土爆撃作戦を遂行していたのであり、それを考えれば、ドイツ人の空襲体験はどれだけ過酷なものであったか。
 そのドイツの降伏は、アメリカに生産余力をもたらしたのである。

 その生産余力を支えた爆撃機工場労働者が、自宅では既に電化された近代的キッチンで料理をし、自家用車で通勤していた。米国の圧倒的国力、日本との国力差、かみしめておくべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/10/25 17:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/288048/

 

 

 

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2016年9月16日 (金)

続・二重国籍の幻

 

 蓮舫先生のいわゆる「二重国籍疑惑問題」(最近では弥縫的に「二重戸籍疑惑」と言い換える向きもあるらしいが、その当人が蓮舫先生の発言のブレ―特に用語法上の一貫性のなさ―を平気で非難しているのは、あまりにご都合主義に見える)について、前回の記事(「二重国籍の幻」)の続きである。

 

 

 しかし…、あらためて思うのは、

  蓮舫議員の「台湾籍」というのはいったいどこの国の「国籍」のことなのか??

…ということである。ネトウヨの皆さんだけでなく(というかそれよりは)、 外務大臣、法務大臣、並びに官房長官の見解を伺ってみたい、と思う。

 

 この問題の基本に位置付けられる、わが国の「国籍法」の規定はというと…

 

  第十六条 
  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。

 

 国籍法上、求められているのは、外国の「国籍」の離脱、なのである。

 前回も示したように、蓮舫嬢の日本国籍選択宣言時の、戸籍を始めとする公文書上の「国籍」欄には「中国」と明記されている。

 その上で…

 

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

 これが日本政府の公式見解なのである。

 

 繰り返すが、「台湾籍」というのはどこの国の「国籍」を示すものなのか? もう少し、この線上で、問題を追及してみたい。

 

 

 

 日本国籍選択当時の蓮舫嬢が所持していたのは「台湾」の「旅券(パスポート)」であるが、で、その旅券をそのまま現在に至るまで所持していた(更新されずに失効してはいるのだが)ことが特にネット上で問題とされているわけだが、台湾の旅券(すなわち中華民国政府発行の旅券)の日本の国内法的位置付けについて、まず確認しておきたい。

 

 現在の入管法(出入国管理及び難民認定法)には以下の規定がある。

 

  第二条  出入国管理及び難民認定法及びこれに基づく命令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
  一  削除
  二  外国人 日本の国籍を有しない者をいう。
  三   乗員 船舶又は航空機(以下「船舶等」という。)の乗組員をいう。
  三の二  難民 難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第一条の規定又は難民の地位に関する議定書第一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。
  四  日本国領事官等 外国に駐在する日本国の大使、公使又は領事官をいう。
  五  旅券 次に掲げる文書をいう。
   イ 日本国政府、日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券又は難民旅行証明書その他当該旅券に代わる証明書(日本国領事官等の発行した渡航証明書を含む。)
   ロ 政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書

 

 「台湾」の「旅券」は、日本の入管法上は、当然のことながら「日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券」には相当せず、「政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書」として位置付けられる。

 現在では、パレスチナ自治政府と共に「台湾」が「政令で定める地域の権限のある機関」として取り扱われ、両「機関」の発行した旅券は、日本への入出国に際して入管法上の旅券として機能している。

 もちろん、この規定は、台湾旅券の所持者の台湾国籍保有を認定することを避けるために存在するのであって、台湾(あるいは中華民国政府)発行の旅券の所持者を、台湾国民(あるいは中華民国国民)として位置付けようとするものではない。

 

 

 しかし(というかむしろ「しかも」と言うべきか)、あくまでもこれは現在の法制度上の話なのであって、蓮舫嬢が1984年の国籍法の改正に伴い日本国籍を選択し、(戸籍上の記載をそれまでの)中国籍から日本へと変更した際には、台湾旅券は現在とはまったく異なる取り扱いの下にあったのである。

 立命館アジア太平洋大学の山神進教授による「入管法実務解説-第4回」には、以下のように記されている。

 

  なお上記ロのような規定をおき、“台湾護照”をも入管法上の旅券として認めることにした(平成10年)のは、台湾から本邦への入国者の増加にかんがみ、出入国手続きの簡素化を図れるようにしたものである。すなわちそれ以前は、台湾からの入国者は、有効な旅券を所持しないものとして、渡航証明書を取得しなければならず、また、本邦に在留中に一事海外渡航をしようとする場合には再入国許可証の発行を受ける必要があった
     (http://www.legal-info.co.jp/demo/demo_data/20070118_01.pdf

 

 つまり、蓮舫嬢が日本国籍選択宣言をした当時の日本の国内法制度上は、台湾旅券は無効なものとして取り扱われていたことになる。

 当時の蓮舫嬢が所持していたのはわが国の国内法的に既に効力を失なっていた「旅券」なのであり、現在ネット上で非難の的となっているその「旅券」なるものは、更にその後の台湾における更新手続きの不在により台湾の制度上も失効したものであり、いずれにせよ「旅券」としての資格を持たない紙切れに過ぎないのである。

 

 

 国籍法第十六条の「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」との規定を根拠に、日本の国籍選択宣言をした台湾出身者に対し、台湾籍表示(すなわち中華民国政府発行)旅券の台湾行政当局への返納等の手続きを求めてしまえば、台湾籍の表示を「外国の国籍」の表示として取り扱ってしまうことを意味してしまう。窓口レベルでの対応であれば、いかにもありそうな話ではあるが、法務省内の上層ではそのような対応が非常に厄介な事態を引き起こすことは理解されていて当然であり、そのような手続きを要求することは避けられるべきものとして判断されるはずである。要するに、窓口レベルでの対応では台湾での行政上の手続きを求めることもあったであろうが、そのような対応を法務省全体として公式に採用することはあり得ない話であり、台湾出身者の台湾籍旅券の放置の違法性を主張することもあり得ないものと考えられる。法務省としての実際的な対応としては、まずもって旅券の問題に触れないことであり、台湾出身者に「外国の国籍の離脱」の証明を求めないことである。

 

 これ以外に、法理的に問題なく、国家行政としての一貫性を保ち得る対応法はない(註:1)

 台湾籍旅券をめぐるネット上の盛り上がりは、問題の法理的側面をまったく理解していないところでのものに過ぎない(註:2)。要するに、国家行政上の問題として、現実的ではないのである(註:3)。

 

 

 

 蓮舫先生の発言に(特にその用語法に)統一性がないのは、(ネット上で盛り上がっているように)彼女が「嘘つき」であるから(意図的に虚偽を申し立てているから)ではなく、外国籍保有者が日本国籍を取得する際に必要な法的手続きの詳細(「帰化」と「国籍選択」の違い等々をも含む)に関し正確な知識を持たない(つまり「認識不足」ということである)からと理解する方が、発言の統一性のなさを解釈する上で適切であるように思う(加えて、蓮舫先生の発言が、記憶という曖昧なものに依拠し過ぎているという問題がある)。

 この理解は、必ずしも彼女を擁護するものではなく、彼女の法制度上の認識不足に対する批判をも含むものである。

 国籍法の改正を受け、彼女が国籍選択をした当時の在日外国人をめぐる法的状況として、外登法上の義務とされていた指紋押捺制度への反対運動の盛り上がりがある。その中での「認識不足」は、その時代を生きた人間の一人でありながら(十代の後半という年齢ではあるが)、自身をめぐる法制度上の問題に対する無関心の印象を際立たせてしまう。

 もちろん、十代後半という年齢を考慮すれば、そのような現実(それも自らの出自がもたらす現実)から目を逸らしたくなる気持ちも、私には、理解出来るものではある。十代後半の少女にとってデリケートな問題でもあるのであり、一方的に声高に非難するようなデリカシーのなさは避けたい。

 しかし、彼女のその後の経歴にはニュース・キャスターがあり、在日外国人をめぐる法制度上の問題への鈍感さは、職業的に致命的なものでもあるはずだ。

 そして参議院議員である。その上に民進党の代表だ。不勉強と非難されることは甘受すべきであろうし、そもそも蓮舫先生の政治手法は、政敵の一身上のこのような局面を徹底的に利用し尽くす攻撃的なもの(認識不足は許されるものではなく、曖昧な記憶に基く発言の揺れは認められない)ではなかっただろうか。乱暴な二分法と過剰な一般化に基く糾弾的論法は、そもそもが蓮舫先生がお得意としてきたものとの印象も強いのである。

 

 しかし、繰り返すが、出自をめぐる問題はデリケートなものである。(蓮舫先生自身が実際にデリケートな感性の持ち主であるのかどうかはともかくとして)その点に対する想像力を欠いた議論の氾濫には、いささか絶望的な気分にさせられるのも正直なところである。

 

 

 

【註:1】
 1984年の国籍法改正(1985年施行)に伴い、日本国籍選択宣言をした台湾出身者(日本在住の中華民国政府発行の旅券―ただし日本政府によって既にその有効性は否定されているのだが―の所持者)に台湾の行政当局(すなわち中華民国政府)を相手にした国籍離脱の手続き(国籍法上の「外国の国籍の離脱」)の実行を求めてしまえば、台湾出身者の「国籍」が中華民国のものであることを意味させてしまい、1972年の日中国交正常化を受けて中華民国政府発行旅券の有効性を否定した意味が失われてしまう。それでは日本の国家行政が整合性を欠いたものとなってしまうのである。

 前回記事中でも指摘したことだが、「台湾籍」という法的に曖昧な語を用いてしまうことが問題の所在をわかりにくくし議論を混乱に導いているように思われる。
 蓮舫嬢の国籍選択当時の日本の戸籍簿上には「台湾」を「籍」とする台湾出身者は存在せず、すべてが「中国」を「籍」としていたのであるし、その「中国」籍の台湾出身者が所持していた旅券は「台湾」の旅券ではなく中華民国政府発行の旅券(しかも、その旅券は1972年の段階で日本政府により有効性を否定されていた)であった。ちなみに、中華民国の国籍法の条文中には「台湾」の文字はまったく用いられていないことは覚えておいてよい。その中華民国の国籍法が規定するのは、あくまでも中華民国国民の要件であり、中華民国政府発行の旅券がその所持者に保障するのは中華民国の国籍保有であって「台湾」の「籍」ではない(中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになったのは2003年になっての話である)。「台湾籍」という用語は、中華民国(そして台湾において現実の行政の主体となってもいる中華民国政府)の存在を隠蔽するのに役立つことは確かだが、今回の二重国籍問題を正確に考える上では混乱の原因となっているように見える。実際、この点に鈍感なところで展開される主張は、多くの場合、的外れなものとなっている。

 

【註:2】

 民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行は13日午前、記者会見し、父親の出身地である台湾(中華民国)籍が残っていたことを明らかにした。
 台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)から12日夕に確認の連絡を受けたという。蓮舫氏は「記憶の不正確さから混乱を招き、おわびする」と謝罪した。
 蓮舫氏は旧民主党政権で、台湾籍が残ったまま閣僚を務めていたことになり、波紋が広がりそうだ。ただ、15日投開票の代表選を辞退する考えはないと強調した。
 蓮舫氏はこれまで、日本と台湾のいわゆる「二重国籍」を否定。17歳だった1985年に日本国籍を取得した際、父親とともに代表処へ出向き、台湾籍放棄の手続きを取ったと説明していた。しかし、手続きが済んでいたかは「確認中」として、6日に改めて台湾籍放棄の手続きを申請した。
 蓮舫氏は会見で「(台湾籍放棄)手続きが完了すれば、籍に関することは最終的に確定する」と述べ、手続きが終わるまでなお時間を要するとの認識を示した。
     (時事通信 2016/09/13 10:45)

 この報道は興味深い。

 ネット上で非難されているように、蓮舫先生の「台湾籍放棄」は台湾への「裏切り」と断言し得るのか? 結果的に「台湾籍」を「国籍」扱いすることになり、むしろ台湾当局の利益に適った行為と言い得るのではないのか?

 蓮舫先生の「台湾籍放棄」は、台湾当局にとってネガティブな行為なのかどうか?
 この点については大いに議論の余地がある。

 今回の蓮舫先生の「台湾籍放棄」が、国籍法での「外国の国籍の離脱」をあらためて実行したものなのだとすれば(実際、ネット上ではそのように解釈され、非難されているわけである)、蓮舫先生の「台湾籍」は「外国の国籍」として位置付けられることになってしまう。
 これは蓮舫先生個人の問題にとどまるものではなく、台湾籍一般が台湾の「国籍」として位置付けられたことを意味してしまう。
 これはむしろ台湾当局にとっては歓迎すべき事態とも言い得るのである(もっとも、蓮舫先生自身がその点について自覚的であったとは思い難いが)。

 果たして蓮舫先生は台湾のナショナリズムに反する行為をしたのか?
 それとも台湾のナショナリズムに貢献する行為をしたのか?
 どのような答えが適切と言い得るのか、この問いに答えることは意外に難しい。

 いずれにせよ、ネット上での蓮舫攻撃がエスカレートすればするほど(そしてそれが現実的な影響力を持ってしまえば)、実際問題として、日本政府は厄介な立場に追い込まれるのである。日本政府としては特に見解を示さずに静観するのが穏当な対処法であろう。

 

【註:3】
 この点に関して参考になるのは、台湾出身者の場合の日本国籍選択の手続きと日本への帰化の手続きの違い、及び台湾籍保有者と一般の外国籍保有者の帰化申請手続きの違いである(以下の行文では、煩雑を避けるために「台湾籍」の語を用いる)。
 前者であれば、(現行法では)父母のどちらかが日本国民であれば、その子にも日本国籍が与えられ、その成人に際して国籍の選択が求められる。これはいわば、それまでの二重国籍状態から、当人の責任において父母いずれかの国籍を選択することが(多重国籍保有を認めな我が国の)国籍法で義務付けられているということである(その行使においては国籍選択の「権利」と言い得るかも知れない)。
 後者については、台湾籍保有者の「帰化申請」に際しては、日本国籍取得(帰化)手続きの前提として、台湾籍からの離脱が求められている(http://kikajp.net/taiwan_kika_service.html)。台湾籍保有者を無国籍者状態に置いた上で、あらためて日本国籍取得(帰化)の申請に進むのである。これは国籍法の定める一般的な帰化の手続きとは著しく異なる。まず、国籍法の規定と、法務省のサイトにある「国籍Q&A」から、一般的な帰化の条件・手続きについて確認しておきたい。

第四条 
 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
 2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。
第五条 法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
  一 引き続き五年以上日本に住所を有すること。
  二 二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること。
  三 素行が善良であること。
  四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること。
  五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
  六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。
 2 法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。
     (国籍法 
http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

Q8: 帰化とは,何ですか?
 帰化とは,その国の国籍を有しない者(外国人)からの国籍の取得を希望する旨の意思表示に対して,国家が許可を与えることによって,その国の国籍を与える制度です。日本では,帰化の許可は,法務大臣の権限とされています(国籍法第4条)。
 法務大臣が帰化を許可した場合には,官報にその旨が告示されます。帰化は,その告示の日から効力を生ずることとなります(国籍法第10条)。

Q9: 帰化の条件には,どのようなものがありますか?
 帰化の一般的な条件には,次のようなものがあります(国籍法第5条)。
 また,これらの条件を満たしていたとしても,必ず帰化が許可されるとは限りません。これらは,日本に帰化するための最低限の条件を定めたものです。
1  住所条件(国籍法第5条第1項第1号)
  帰化の申請をする時まで,引き続き5年以上日本に住んでいることが必要です。なお,住所は,適法なものでなければなりませんので,正当な在留資格を有していなければなりません。
2  能力条件(国籍法第5条第1項第2号)
  年齢が20歳以上であって,かつ,本国の法律によっても成人の年齢に達していることが必要です。
3  素行条件(国籍法第5条第1項第3号)
  素行が善良であることが必要です。素行が善良であるかどうかは,犯罪歴の有無や態様,納税状況や社会への迷惑の有無等を総合的に考慮して,通常人を基準として,社会通念によって判断されることとなります。
4  生計条件(国籍法第5条第1項第4号)
  生活に困るようなことがなく,日本で暮らしていけることが必要です。この条件は生計を一つにする親族単位で判断されますので,申請者自身に収入がなくても,配偶者やその他の親族の資産又は技能によって安定した生活を送ることができれば,この条件を満たすこととなります。
5  重国籍防止条件(国籍法第5条第1項第5号)
  帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です。なお,例外として,本人の意思によってその国の国籍を喪失することができない場合については,この条件を備えていなくても帰化が許可になる場合があります(国籍法第5条第2項)。
6  憲法遵守条件(国籍法第5条第1項第6号)
  日本の政府を暴力で破壊することを企てたり,主張するような者,あるいはそのような団体を結成したり,加入しているような者は帰化が許可されません。

 なお,日本と特別な関係を有する外国人(日本で生まれた者,日本人の配偶者,日本人の子,かつて日本人であった者等で,一定の者)については,上記の帰化の条件を一部緩和しています(国籍法第6条から第8条まで)。

Q10: 帰化には,どのような手続が必要ですか?
1  帰化許可申請の方法
  本人(15歳未満のときは,父母などの法定代理人)が自ら申請先に出向き,書面によって申請することが必要です。その際には,帰化に必要な条件を備えていることを証する書類を添付するとともに,帰化が許可された場合には,その方について戸籍を創設することになりますので,申請者の身分関係を証する書類も併せて提出する必要があります。
  帰化申請に必要となる主な書類については,Q11をご覧ください。
2  申請先
  住所地を管轄する法務局・地方法務局

Q11: 帰化許可申請に必要な書類には,どのようなものがありますか?
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
1  帰化許可申請書(申請者の写真が必要となります。)
2  親族の概要を記載した書類
3  帰化の動機書
4  履歴書
5  生計の概要を記載した書類
6  事業の概要を記載した書類
7  住民票の写し
8  国籍を証明する書類
9  親族関係を証明する書類
10  納税を証明する書類
11  収入を証明する書類
12  在留歴を証する書類

 国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。
 なお,申請者の国籍や身分関係,職業などによって必要な書類が異なりますので,申請に当たっては,法務局・地方法務局にご相談ください。
     (国籍Q&A 
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji78.html

 この国籍法の規定及び法務省による「Q&A」を読めば分かるように、一般的な帰化申請の手続きに際しては、台湾籍保有者の場合と異なり、たとえば国籍法では「国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」とあるように、外国籍からの離脱は日本国籍の取得後(日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべき)に必要なものとされており、申請の前提として無国籍状態になることは求められていない。
 更に「Q&A」では、

   帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
   8  国籍を証明する書類
   国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。

…として、それまでの国籍の喪失(外国籍からの離脱)は、「帰化によって」の文言が明らかにしているように、帰化が実現した後(日本国籍取得の後)に必要なものとされているのだし、帰化許可申請の際に必要となるのは無国籍状態の証明ではなく、申請提出時の「国籍を証明する書類」なのである。これは台湾籍保有者の場合と著しく異なる。
 まさにここに日本の国家行政上の整合性がいかに追求されているのかが読み取られなければならない。「台湾籍」を台湾の「国籍」と見做してしまう事態を避けるために(中華民国政府を国家を代表する政府と位置付けてしまうことを避けるために)、台湾籍(中華民国国籍)から日本国籍への帰化(そしてその後の「台湾籍」からの離脱)という手続きではなく、無国籍者による帰化申請という形式を法務省はわざわざ求めているということなのである。もちろん、台湾籍保有者の無国籍化の手続きを実行するのは台湾の行政当局(中華民国政府)なのであるが、(その事実を視野の外に置くこと―意図的に無視すること、とにかく触れないこと―によって)日本政府が窓口で対面するのは既に無国籍者となった帰化申請者となるとの曲芸的論法ということなのである。中華民国政府による「国籍を証する書面」を認めてしまえば、中華民国の「国籍」を認めてしまうことになってしまい、日本の国家行政から形式的な整合性が失われてしまうのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/16 18:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/285239/

 

 

 

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2016年9月 9日 (金)

二重国籍の幻

 

 このところのネトウヨ系(あるいは自称保守系)大興奮ニュースとして、党内選挙で民進党の代表になっちゃうかも知れない蓮舫先生をめぐる「二重国籍疑惑問題」があったりする。

 

 蓮舫先生については、ニュース・キャスター時代の彼女を、故ナンシー関が見事に「社会派バカ」の一言で斬って捨てたのを今でも忘れ難く思う私ではあるが、そしてその印象が今に至るまで変更されることもなく来た―もちろんささやかな私の偏見に過ぎないのであろう―のであるが、つまり現在の政治家としての蓮舫先生を支持する気にもまったくならない私なのではあるが、今般の(産経新聞と百田尚樹先生とを含む)ネトウヨ系(あるいは自称保守系)の盛り上がりには冷ややかな視線を送らざるを得ないのもまた現実なのであった。

 

 

 

 戸籍簿上の国籍表記に関しては、昭和39年の時点で、台湾出身者については国籍を「中国」と表記するようにとの法務省からの通達がある(註:1)。

 1967年(昭和42年)生まれの蓮舫先生は、出生当時の国籍法上、(日本国民である母の持つ日本国籍ではなく)父の出身地である台湾を意味する「中国」を自身の国籍として日本の公文書に記載することを求められていたことになる。

 

 言うまでもないことであるとは思うが、そもそも「台湾」は地域名であるが国名ではない。「台湾」は、かつては大日本帝國の支配領域であったが、「先の大戦(つまり大東亞戦争)」での大日本帝國の敗戦後は、大陸を追われた国民党政権の支配領域として「中華民国」を国名として名乗ることとなった。昭和39年(1964年)の法務省通達にある「中国」は、この「中華民国」の略称(あるいは通称)ということになる。その後、1972年の「日中国交正常化」により、日本国は大陸に本拠を置く中国共産党政権下の「中華人民共和国」を「中国」の正統な国家として承認し、国民党政権下の台湾の「中華民国」とは断交した(その時点で台湾の正統的な支配者は、台湾の国民党政府ではなく大陸の中国共産党政府と見做されることとなった)。

 しかしそこで台湾出身者の国籍表記はどうなったかというと「中国」のまま! つまり、日中国交正常化後、日本国内公文書上の「中国」は、従来の「中華民国」としてではなく、「中華人民共和国」として読み替えられ取り扱われることで済まされてしまったのである(註:2)。

 

 蓮舫先生は、出生時は当時の国籍法の規定と法務省通達に従い、台湾出身である父の国籍表記である「中国」(ただし中華民国を意味する)の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化後」には「中国」の正統な国家として日本政府に承認された(台湾をも領域とすることとされている)中華人民共和国(もちろんこちらも略称は「中国」である―ちなみに日本国の外務省も、そして中華人民共和国の外務省も、この表記を認めている 註:3)の国籍保有者として取り扱われるようになってしまったわけである。

 

 再確認しておくと、1967年の出生時は台湾を領域的に実効支配する国民党政権下の中華民国国籍を意味する「中国」の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化」後は台湾をも含む「中華人民共和国」の国籍保有者であることを意味する「中国」籍の保有者として、日本の国内法上の取り扱いを受けていたのである(註:4)。

 日常語の世界の話としてはともかく、日本国の公文書(少なくとも法務省民事局管轄の戸籍簿)上は、「台湾籍」である「蓮舫」なる人物が存在したことはない、ということになる。

 

 で、1984年の国籍法の改正(母が日本国籍保有者であれば、その子に日本国籍が認められるようになった)により、当時の若き蓮舫嬢は、あらためて国籍の選択を迫られることになる。そこで彼女は(父のアドバイスもあったらしいが)日本国籍をあらためて選択したのであった。

 で、ネットで騒がれているのは、その際に「台湾籍を離脱していないのではないのか?」との「疑惑」であるわけだが、先に説明したように、そもそも日本の戸籍簿上には、国籍(帰属先の国家)を「台湾」とする台湾出身者は存在しない。

 その事実を再確認した上で、実際に国籍欄に記載されていた「中国」(ここでは中華人民共和国を意味する―蓮舫嬢が日本国籍を取得した時期が日中国交正常化後なので)の国籍からの離脱の手続きの実行の有無は問われ得る話ではあるだろう。

 ここで焦点となるのは、中華人民共和国の国籍法上の他国の国籍取得者への対応である。中華人民共和国の国籍法上では二重国籍の保有は認められず、他国の国籍を取得した時点で「中華人民共和国」の国籍は失われる。つまり、若き蓮舫嬢が日本の国内法の規定に基づき日本国籍の取得を選択した時点で、中華人民共和国の国内法に基づき、中華人民共和国の国籍は自動的に失われていることになるのである(註:5)。当人による中国籍離脱の手続きは(中華人民共和国の法制度上は)必要とされていないのだ(註:6)。

 実際問題として考えれば、かつて彼女が北京大学に留学した際には、彼女は日本国のパスポートを使用していた―つまり日本国民として「渡航」した―のであり、中華人民共和国の国籍保有者として「帰国」したのではない(そのようなことは中華人民共和国の法制度上あり得ない話なのである)。

 ただし、台湾の公文書上の問題としては、戸籍上の「籍」は残されている可能性は残る―しかし、台湾は日本国から国家として認められていないので、日本の法理上は蓮舫先生の台湾「国籍」なるものは存在しないわけでもあるし、中華人民共和国の法理上も既に中国の国籍を喪失している人物の籍が地方行政文書(台湾は中華人民共和国政府からすれば国内の一地方に過ぎない)に残されているのは国内行政上の瑕疵でしかない(戸籍記載の訂正は、既に国籍を喪失した人物の責に帰するものではなく、行政官の職務に属する問題である―もっとも、あくまでもこれは形式的な話であって、現実の中華人民共和国政府は、現地台湾の行政官に指示命令する手段を持たないのであるが)し、そもそも台湾の住民の多くは自身の帰属先を「中華民国」と考えているのであって、必ずしも台湾なる国家の国籍の保有者などとは考えていない―もちろん、「台湾」を自身の帰属先と考え、大陸から独立した領域としての「台湾」を希求する台湾ナショナリストも存在する(註:7)事実を無視するべきではないが―はずである。

 安易に「台湾籍」という語を用いて問題を論じようとする風潮には、(公文書上の用語法に象徴される)問題の法理的側面への無理解を感じさせられる。本質的に法理上の問題であるにもかかわらず、排外主義的心情の上に築かれた妄想の拡大再生産に議論(蓮舫先生への批判)が終始している印象である。いずれにせよ、日本国の国内法的にも、中華人民共和国の国内法の上でも、蓮舫先生の二重国籍問題なるものは最初から存在しないのである(註:8)(この点に関しては、更に「続・二重国籍の幻」の中で、蓮舫先生の所持していた「台湾籍」の「旅券」の国内法的位置付けに焦点を合わせ論じてみたのでそちらも参考にしていただきたい)。

 

 

 

【註:1】

   戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問主意書
第177回国会(参議院) 質問第二五六号 平成二十三年八月九日 大江康弘(自由民主党)

 現在、台湾人女性が日本人男性の妻となる場合、台湾出身者が日本に帰化する場合、又は台湾出身者が日本人の養子となる場合など、台湾出身者の身分に変動があった場合、戸籍における国籍や出生地は「中国」あるいは「中国台湾省」と表記される。
 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記しているのは、実に今をさかのぼること四十七年も前の昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われる。

 昭和三十九年といえば、東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された年で、日本が中華民国と国交を結んでいた時代である。しかしその後、日本は中華民国と断交して中国(中華人民共和国)と国交を結ぶなど、日本と台湾・中国との関係は大きく変わっている。
 このような中、東京都は平成二十年五月、住民基本台帳の表記について昭和六十二年の通知が現状に即さず、正確ではないとの判断から、台湾からの転入・台湾への転出の際には「台湾」の表記を認めるという通知を出している。また、平成二十一年七月の法改正による外国人登録証明書の在留カード化措置において、台湾出身者の「国籍・地域」表記は「中国」から「台湾」に改められることになる。
 現実的にも、中国が台湾を統治したことは一度もない。また、日本政府は観光客に対するノービザや運転免許証について台湾とは相互承認を行い、中国とは行っていないなど、明確に台湾と中国とを区別している。さらに、台湾では天皇誕生日祝賀会が開催されたり叙勲を復活させたりするなど、中国とは状況が異なっている事例には事欠かない。
 従って、五十年前とは様変わりしている事情や現実を踏まえ、戸籍における台湾出身者の国籍表記を早急に改めるべき状況にあると認識している。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 戸籍において、台湾出身者の国籍や出生地を「中国」や「中国台湾省」と表記するのは、昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われるが、それで相違ないか。もし違うというのであれば、根拠となっている法律や通達などを明らかにされたい。

二 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記することは、現状に即し正確だと認識しているか、政府の認識を明らかにされたい。

三(略)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/syuh/s177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

   参議院議員大江康弘君提出戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問に対する答弁書
答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣(菅直人)

一について

 御指摘のとおりである。

二について

 お尋ねの「現状」の意味が必ずしも明らかではないが、現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。

三について(略)  
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/touh/t177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

 

 もちろん、この内閣総理大臣の答弁内容は、民主党政権での独自見解などではなく、歴代の自民党政権下でも受け継がれてきた認識と考えるべきものである(大江議員は、「五十年前」から修正されることなく続く戸籍記載上の問題を指摘しているのであり、その五十年間のほとんどの時期に政権を担当し続けたのは他ならぬ自由民主党なのであるから)。

 

〔追記:2016/09/11〕
 自由民主党政権下での森山真弓法務大臣が以下の答弁をしてるようである。

 04月23日(2002年・平成14年)
 外登証問題で、西村眞悟・衆院議員が法務委員会において質疑。森山真弓法相は「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」と答弁。
http://freeasia2011.org/japan/archives/1510

 この通りだとすれば、大江議員に対する菅首相の答弁は、大枠として、明らかに自民党政権の姿勢を引き継いだものと位置付けられるだろう。
 「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」との森山法相の答弁からは、「昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達」に先立ち、外国人登録法については昭和27年の制定以来、「台湾出身者は『中国』と表記」していたことがわかる(そしてそれが「昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」ということも)。
 また、昭和39年の「戸籍」上の表記をめぐる「通達」は、あらためて国籍に関する戸籍上の記載と外国人登録に際しての記載の整合を図ろうとしたものと推測し得る(縦割りの行政の中で、横断的に運用上の細部の整合を図るためには多大な労力が必要とされるという一事例にも見える)。

 

【註:2】
 当事者である台湾出身者の帰属意識に関係なく、それまでの中華民国国籍保有者が中華人民共和国籍保有者として見做されるという書類処理上の解釈変更により、「日中国交正常化」という(厄介な)事態への対応が図られたわけである。
 この、台湾出身者の戸籍上の法的身分の解釈変更(帰属する国家―国籍―の変更)という対応策は、日本国の行政官の負担の軽減には役立つものであっただろう。しかし、日本国の行政組織からそれを求められた際に、台湾出身者の出身地における身分の公的証明を発行するのは中華人民共和国政府の行政窓口ではなく、出身地である台湾で依然として実際の行政組織を運用する中華民国政府に属する行政官なのである。
 法的身分については中華人民共和国の国籍保有者とされた台湾出身者は、しかし同時に中華人民共和国のコントロールの及ばない台湾現地の(もちろん、日本国内の出先機関も含むものだが)行政組織、すなわち中華民国を名乗る行政組織によって台湾における法的身分の証明を受けることとなったのである。
 日本の行政官の負担の軽減の結果、台湾出身者には、より複雑な状況がもたらされ、ある種の行政手続きに際し、より大きな負担(当事者の帰属意識の無視は、それだけで当事者には心理的負担となる)が必要となってしまったわけである。
 いずれにせよ、当事者の帰属意識が完全に無視された中で、「日中国交正常化」を受けての行政処理の変更が行われ、様々な意味において台湾出身者の負担を増大させた事実には気付いておくべきだろう。
 今回の「二重国籍疑惑問題」も、このような歴史的背景の中で理解しなければならない。

 

【註:3】
 たとえば日本の外務省の報道発表において「中国」の名称が使用されている。

 → 第11回日中韓高級事務レベル協議(結果)(報道発表)(平成28年8月21日)
   (http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003612.html

 中華人民共和国の外務省も、自国を指すのに「中国」の名称を使用している。

 → 日本に慎重な行動を望む 参院選改憲派勝利で中国外交部(2016-07-12)
   (http://www.china-embassy.or.jp/jpn/fyrth/t1379421.htm

 ちなみに、台湾すなわち中華民国の国籍法の条文中でも、自称として「中国(中國)」が併用されている(特に、昭和39年の法務省通達から「日中国交正常化」、そして蓮舫嬢の日本国籍取得に至る時期に施行されていた条文を示してみた)。

 → 國籍法 (民國18年)
   (https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E7%B1%8D%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B89%E5%B9%B4)

 

【註:4】
 先に示した通り、この件に関しての日本政府見解は、

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

【註:5】

     中華人民共和国国籍法
第1条
中華人民共和国国籍の取得、喪失及び回復は、すべて本法を適用するものとする。
第2条
中華人民共和頃は多民族による統一国家で、各民族に属する者は、すべて中国の国籍を有する。
第3条
中華人民共和国は中国の公民が2重国籍をもつことを認めない。

第4条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第5条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が外国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。ただし、父母の双方又は一万が中国の公民であるとともに外国に定住し、本人が出生と同時に外国の国籍を取得している場合には、中国の国籍を有しない。
第6条
父母が無国籍又は国籍不明で、中国に定住し、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第7条
外国人又は無国籍者は、中国の憲法と法律を遵守する意思を表示し、次の条件の1つを備えた場合には、申請、許可を経て中国国籍に入籍することができる。
 1 中国人の近親であること。
 2 中国に定住していること。
 3 その他の正当な理由があること。
第8条
中国国希への入考を申請して許可された者は、中国の国籍を取得する。中国の国籍入籍を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第9条
外国に定住している中国公民で、自己の意思によって外国の国籍に入籍し、若しくはこれを取得した者は、中国国籍を自動的に失う。

第10条
中国の公民は、次の条件の1つを備えた場合には、申請許可を経て、中国国籍を離脱することができる。
1 外国人の近親であること。
2 外国に定住していること。
3 その他の正当な理由があること。
第11条
中国の国籍離脱を申請して許可された者は、中国の国籍を失う。
第12条
国家の公務員と現役の軍人は、中国の国籍を離脱することができない。
第13条
かって中国の国籍を有したことがある外国人は、正当な理由がある場合には、中国国籍の回復を申請することができる。中国国籍の回復を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第14条
中国の国籍の取得、離脱及び回復については、第9条に規定した場合を除き、必ず申請の手続きを踏まなければならない。18歳末満の者は、その父母又はその他の法定代理人が代わって申請する。
第15条
国籍の申請を受理する機関は、国内では地元の市・県の公安局であり、外国では中国の外交代表機関と領事機関である。
第16条
中国国籍の入籍、離脱及び回復に関する申請は、中華人民共和国公安部がこれを審査し、許可する。許可された者には、公安部が証明書を交付する。
第17条
本法の公布される前に中国の国籍を取得し、又は中国の国籍を失つた場合には、それは引き続き有効である。
第18条
本法は、公布の日から施行する。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 

【註:6】
 ただし、中華民国の国籍法では、他国籍取得による国籍離脱(国籍喪失)には内政部の許可が必要とされ、しかも年齢の制限があった。

      中華民国国籍法
第10条
中国人で、左の各号の1に該当する者は、中華民国の国籍を喪失する。
 (1) 外国人の妻となつた者で、国籍の離脱を申請し、内政部の許可を経た者。
 (2) 父が外国人であって、その父が認知した者。
 (3) 父が知れないか、または認知しない者であって、母が外国人であり、その母が認知した者。
② 前項第2号および第3号の規定により、国籍を喪失する者は、中国法により未成年であるか、または中国人でない者の妻である者に限る。
第11条
自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 ちなみにこの日本語訳は「子どもの国籍を考える会」のサイトにあるものだが、どのような理由によるのかは不明だが、現行法(國籍法 (民國95年))の文言によるものではない。ただし、幸いなことに蓮舫嬢が日本国籍を取得した当時( 國籍法 (民國18年))の条文の文言の翻訳となっており、今回の問題の理解にはとても役に立つ。
  蓮舫先生当人がインタビュー(http://news.yahoo.co.jp/feature/349)で明らかにしているところによれば、蓮舫嬢の日本国籍選択・取得手続きは、日本の国籍法改正施行(1985年1月1日)の直後の同年同月21日であり、一方で当時の中華民国の出先機関である亜東関係協会に「国籍喪失」の手続きのために出向いている。
 「台湾語」での手続きは父が代行し、台湾語の理解出来なかった蓮舫嬢にはやりとりの内容はわからなかったという。しかし当時(17歳の高校生)の蓮舫嬢は、それで国籍喪失の手続きは終了したものと考えていた。
 いわゆる「台湾籍」が残存し現在に至っているのだとすれば、「自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る」との国籍法の規定(満20歳以上)が、当時17歳の高校生であった蓮舫嬢を阻んだのだと推測される。成人後の「国籍喪失」の再申請がないままに現在に至り、いわゆる「台湾籍」が残されている可能性はある。
 蓮舫嬢の当時の年齢を考えれば、日本国籍の取得・中華民国国籍の喪失という二つの法的手続きの詳細を把握していなかったことは、声高に非難されるような話でもないように思われる。

 もっとも、日本国の戸籍簿上は、「日中国交正常化」の時点より中華民国の国籍保有者は中華人民共和国の国籍保有者として取り扱われており、国内法的に既に中華民国の国籍保有者と見做されていない蓮舫嬢に中華民国の国籍喪失手続が必要なものなのかどうかには議論の余地が残る(本文で明らかにしているように、私はその必要性を疑っている)。

 参考のために、中華民国の国籍法の当時の条文と現行の条文を原文で示しておく。

当時の国籍法条文(國籍法 (民國18年)
第十條
  中國人有左列各款情形之一者,喪失中華民國國籍:  
  一、為外國人妻,自請脫離國籍,經內政部許可者。  
  二、父為外國人,經其父認知者。  
  三、父無可考或未認知,母為外國人經其母認知者。  
  依前項第二、第三款規定喪失國籍者,以依中國法未成年或非中國人之妻為限。
第十一條
  自願取得外國國籍者,經內政部之許可,得喪失中華民國國籍。但以年滿二十歲以上,依中國法有能力者為限。

現行法条文( 國籍法 (民國95年)
第十一條 (喪失國籍之情形)
  中華民國國民有下列各款情形之一者,經內政部許可,喪失中華民國國籍:  
  一、生父為外國人,經其生父認領者。  
  二、父無可考或生父未認領,母為外國人者。  
  三、為外國人之配偶者。  
  四、為外國人之養子女者。  
  五、年滿二十歲,依中華民國法律有行為能力人,自願取得外國國籍者。  
  依前項規定喪失中華民國國籍者,其未成年子女,經內政部許可,隨同喪失中華民國國籍。

 

【註:7】
 固有名としての「台湾」は、行政上の地域名であると同時に、住民自身の出自・アイデンティティー構築の基盤としても機能する。
 まず台湾には先住民が存在し、その上に大陸系の人々が存在する。大陸系の人々にしても、清朝期からの住人の子孫もいれば、日本による植民地統治期の移住者(戦前からの住民は本省人と呼ばれる)、そして「戦後」に支配者として振る舞った国民党政府に連なる人々(いわゆる外省人)の子孫も存在する。それぞれに帰属意識の在り方は異なり、国民党系の外省人にとっては台湾は「中華民国」であっても、戦後の長い時期に外省人による統治から政治的に排除されていた本省人にとっては、必ずしも国民党の「中華民国」が帰属意識の対象であるわけではない(実際、2003年からは、中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになってもいる)。
 戦後の歴史の中での本省人と外省人の対立の構図と同時に、大陸の共産党政権に対する独立的意識は両者に共有されてもおり、台湾住民の帰属意識を考える際には過剰な一般化への誘惑を避けねばならない。
 その上に重ねて、日本在住の台湾出身者の帰属意識の問題があり、彼らの間では、日本国内の公文書上での国籍表記を「中国」ではなく「台湾」とすることも求められており、総務省管轄の外国人住民基本台帳の「国籍・地域」欄等では既に実現されている。

 

【註:8】
 蓮舫先生の二重国籍疑惑については、国際法の原則的には日本国と中華人民共和国の(日本と中国の間の)二国間問題なのであり、そこでの台湾はあくまでも中国内の一地方として法的に位置付けられる。その構図の下では、既に本文中に示したように、中華人民共和国の国籍法上の身分の変更の事実が中華人民共和内の一地方の行政文書の記載内容より優先されるのは当然の話である。蓮舫嬢の日本国籍取得により、彼女の中国籍は自動的に抹消され、一地方の行政文書上の記載の残存放置は、彼女の責ではなく地方行政官の職務の問題なのである。
 しかし、このような認識は、台湾のナショナリストには容認し難いものでもあろう。
 今回の「台湾籍」をめぐる問題の背後には、国際社会の中での国家としての正統性をめぐる問題が潜んでおり、同時に台湾住民自らの、そして日本国内の台湾出身者の、帰属意識の対象の選択の問題―アイデンティティーの問題(しかも、むしろそこではナショナル・アイデンティティーの流動性が暴露されてしまってもいるのである)―が複雑に重なり合っているのである。産経新聞や百田尚樹先生による浅薄な非難とは別に、我々の属する近現代史の問題として、深く掘り下げるに値する話題であることも確かであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/08 21:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/284636/

 

 

 

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